「New Photographic Objects 写真と映像の物質性」@埼玉県立近代美術館

埼玉県立近代美術館で開催されている「New Photographic Objects:写真と映像の物質性」を観る。タイトルの通り、写真や映像の物質性に焦点をあてて制作しているアーチストの作品を集めた企画展。スマホで簡単に写真や映像が撮れてしまい、ちょっとした画像編集ソフトを使えばそれなりの作品ができてしまう現代に、プロのアーチストはどのような映像表現を目指そうとしているのかを知ることができる貴重な展覧会。

この展覧会に行く気になったのは、日曜美術館のアートシーンで観た横田大輔の「Untitled (RoomReflection)」が気になったから。横田が東京都内のラブホテルで1人宿泊して撮影したスナップ写真を大判のポリ塩化ビニールシートにプリントし、さらにこの上に熱湯現像した大判のフィルムを重ね合わせた巨大な作品が、窓からの光に照らされて不思議な質感を感じさせた。これは実地に観てみなければと思い立った次第。

確かに横田の作品はインパクトがあった。作品自体が巨大だし、実際に、作品の前に立って、透過光に浮かび上がる重層的なイメージを観ていると、不思議な感覚に捕らわれる。映像が何か不定形の空間に溶け込んでいくような感覚というのだろうか。ラブホテルの普通の室内風景のスナップが何か異世界に変わっていくような感じである。

でも、それ以上にインパクトのある作品は、牧野貴の「cinema concert」。路上に落ちる雨滴、川面の水の揺らめき、川の中に踊る水泡、林の中の木々と葉のざわめき・・・。それらを撮影した映像を200回以上も重ねて作られた映像作品は、一見するとただのノイズ画面のようにしか見えない。観客は、それを片眼に減光フィルターをかけて観る。それにより、映像が3Dのような状態になる。最初は、ただ「砂の嵐」が舞っているだけの映像に慣れてくると、オリジナルの雨滴や川面を認識できるようになる。しかし、それは不定形で、絶えず生成と消滅を繰り返し、知覚できたかと思うとノイズの中に消え去ってしまう。

こんなわけの分からない映像であるにもかかわらず、思わず引き込まれて見入ってしまう。なぜだろう。よく分からないけれど、この画像を見ていると、本来、世界はこのようにミクロのレベルでは生成と消滅を繰り返す不定型なものだという意識に捕らわれる。ただ、それでは人間の意識は耐えられず、自己を維持することができないから、多くの情報を捨象し、世界を安定化させて、今ここにあるような状態で認知しているだけだ。しかし、意識を拡張し、すべてのフィルターを排除すれば、世界はこのように立ち現れてくるのではないか。。。そのような考えにさせる映像だった。これは今後要チェックである。

これ以外にも、被写体の時間的な変化を数百枚の連続写真で撮影し、それを重ね合わせた上で、彫刻のように彫り込んでいくことで、写真なのかオブジェなのか彫刻なのかよく分からない作品を制作しているNerholも面白かった。遠くから観るとぼやけた写真のように見え、近寄ると紙の荒々しい掘り跡が残っているオブジェに変容する。まさにオブジェとしての写真展にふさわしい作品だった。

こういう前衛的な作品による企画展ができるのも、公立美術館の役割。東京都美術館や国立西洋美術館が、売れ線を狙った企画展を連発するのを脇に見ながら、しっかりとキュレーターの主張を打ち出した展覧会、なかなかよかったです。

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