川上未映子著「愛の夢とか」

川上未映子「愛の夢とか」を読む。「乳と卵」で衝撃を受けたので、集中的に読もうと思っていたんだけど、気がついたら半年以上経ってしまった。むら気な僕。。。少々反省する。

「愛の夢」は川上さん初の短編集とのこと。「乳と卵」のような言葉と物語の奔流はないけれど、やはりそこには彼女特有の語りがあり、テーマがある。才能のある人だなと思う。それぞれの短編が提示する物語にはお互いにまったく関連がないように見えるけれど、そこには女性の深い孤独や喪失感がある種の普遍性をもって描かれている。世界がきらめくような一瞬があり、心から大切にしているものたちに囲まれた幸福もあるのだけれど、それもやがて失われてしまう。

あるいは世代の異なる女性達の出会いと対話。その対話は、年少者から年長者へのものもあれば、年長者から年少者へのものもあるだろう。世代の差は、生きかたや考え方の違いとなり、なかなか乗り越えることができない。同性であるにもかかわらず、あるいはだからこそ決定的な他者として立ち現れるそのよう相手の女性との対話を通じて、彼女たちは改めて自分の人生を振り返り、あり得たかもしれないもう一つの人生を見いだして途方に暮れることになる。

あるいは、愛する男性との対話。ここでもまた、男性は彼女らの思いに関わりなく、ある決定的に理解不能で捉えどころのない他者として立ち現れる。いや、他者というような生やさしい言葉ではなく、他の生物といっても良いかもしれない。それほどまでに男達は、異質の存在として彼女らに向かい合う。そして、あるときふと彼女らの思いに応えることなく立ち去っていく。男女の間には乗り越えがたい深淵が広がっている。

こんな風に書いてしまうと、とても気が滅入るような作品が並んでいるように思われるかもしれないけれど、決してそんなことはない。登場人物たちは、そんな人生のあり方を、泣きわめいたり絶望したりすることなく、ただ淡々と見つめている。そういう理解できなさや届かない愛は、この世界の本質的な一部であるかのように登場人物はそれらを受け入れる。そのことによって、世界は新しい姿を見せてくれるだろう。

短編集の最後を飾る2つの比較的長い物語、「お花畑自身」と「十三月怪談」は、現実と幻想が曖昧になる中で、女性たちが改めて他者や男性たちとの関係を構築しようとするところで終わる。それが現実の出来事なのか、あるいは彼女らの幻想世界の中でのことなのかは分からない。でも、考えてみたら、そんなことはどうだって良いことなのかもしれない。人は、結局、長い時間をかけて自己という幻想世界を旅していく存在でしかないのだから。

谷崎潤一郎賞を受賞した、不思議な手触りを持った魅力あふれる短編集。

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