ジャック・ターナー監督「ベルリン特急」
シネマ・ヴェーラの特集上映「ナチスと映画Ⅲ」。観たい映画は色々あったのだけど、仕事に追われていて気づいたらほとんど終わっていた。何とか時間をやりくりしてジャック・ターナーの「ベルリン特急」に駆け込む。
ジャック・ターナーの作品は、大昔に三百人劇場(良いスペースでしたね)のRKO映画特集上映で見た「キャット・ピープル」ぐらい。彼は、フランスでキャリアを積んだ後にハリウッドに渡り、1930年代から50年代を中心にMGMやRKOで活躍した。彼の作品を見る機会はほとんどないけれど、「キャット・ピープル」のモノクロームの画面と、見せることよりも見せないことによって恐怖感を高めていく演出が印象深かった。
映画は、第二次世界大戦が終了したパリから始まる。終戦直後のパリの街並みが映し出され、一羽の鳩が撃ち落とされて子供たちの手に渡り、その鳩が伝書鳩だということに気づいた母親がそれを通報し、連合軍の本部がその伝書鳩のメッセージからナチの残党の陰謀を察知する。時間も場所も計画の内容も分からないけれど、そこには何か不穏な空気が感じられる。。。
あれよあれよという間に、第二次世界大戦終了後の欧州の政治情勢とナチ残党の暗躍が提示され、陰謀の物語が幕を開ける。これが、古典的ハリウッド映画における物語のエコノミー。ただそのスピード感に息をのむ。そこから舞台は、パリからベルリンに直行する特急に移り、乗り合わせた各国の人々と、連合国の要人ベルンハルト博士とその秘書を巡って展開していく。彼らは、ベルンハルト博士の暗殺計画を阻止することができるのだろうか。。。
英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、イタリア語が飛び交う中、物語は進んでいく。ベルリン特急の狭い空間で展開されるサスペンス。窓の外から一つ一つコンパートメントを映し出していく冒頭から、その空間設計に引き込まれる。やはり欧州のあの列車空間には、サスペンスの香りがする。人々が、コンパートメントを出入りし、廊下ですれ違う。時には短く言葉を交わし、共にたばこを吸う。この細かいエピソードが、登場人物ひとりひとりのキャラクターを際立たせていき、犯人捜しに観客を巻き込んでいく。。。
ベルリン特急は、ザルツブルクで停車し、そこから物語は新たな展開をはじめる。失踪したベルンハルト博士を求めて乗り合わせた男たちと秘書の捜索隊が組織されるだろう。博士の探索は、怪しげなキャバレーからナチス残党の廃工場へと展開していく。敗戦後の混乱した社会が点描される。廃工場のセットや照明は圧倒的な迫力である。でも、それ以上に印象的なのは、戦闘と空爆で廃墟同然の状態になっているザルツブルグの市街。もしかしたら、ジャック・ターナー監督がアメリカの観客に本当に見せたかったのは、この廃墟だったのかもしれないと感じられるほどに、カメラは延々と廃墟を映し出す。その生々しい戦争の傷跡のリアリティが、この荒唐無稽な物語にある説得力を与えている。
たぶん、この廃墟のリアリティのおかげで、国籍も性格も異なり、ただベルンハルト博士と同じ列車に乗り合わせた男たちが、秘書の懇請に応じて捜索隊を組織し、互いに疑心暗鬼になりながらも博士の救出に乗り出すという物語が信じられるのだろう。そして、すべてが解決し、ベルリンに到着した一同が、それぞれの国の統治地域へと別れていく間際に、将来の各国の連帯の可能性を示唆する身振りを取ることが(その中には、アメリカだけでなくソ連の将校も含まれる)素直に受け入れられるようになるのだ。
複数の言語が飛び交い、国籍の異なる混成部隊が組織され、疑心暗鬼や対立、連帯、裏切りとどんでん返し、陰謀、そして恋が描かれていく。映画的魅力が詰まった物語を、ジャック・ターナー監督は、素晴らしい映像で語りだす。特に、通過する列車の窓に偶然隣のコンパートメントの室内が映し出されて、物語が急展開する演出は素晴らしい。ああ、ジャック・ターナー監督の作品がもっと見たい。「私はゾンビと歩いた!」や「レオパルドマン 豹男」、「過去を逃れて」とかどこかで上映しないかな。。。