森谷司郎監督「日本沈没」

BSで「日本沈没」を放映していたのでつい観てしまう。1973年、森谷司郎監督作品。ゴジラシリーズの指揮を執った田中友幸が制作に入っている。原作は、もちろん小松左京。こんなスケールの大きな作品は彼にしか書けない。

僕は、この映画を公開時に映画館で観ている。まだ子供だったが、幾つかの場面は強烈に覚えている。深海艇で日本海溝に1万メートル近く潜行し、そこで乱泥流を発見する場面。東京での巨大大地震の場面。東京大空襲や関東大震災を想起させる火災と建物の崩壊も強烈だったが、逃げ場を失って人々が皇居に向かい、門を開けてくれと騒ぐ場面は鮮明に記憶している。地方に住んでいたので、まだ皇居を見たことがない子供だったけれど、その場所が東京の中心にあり、一般の人々には閉ざされた特別な空間であることは理解できた。その門を開くかどうかは人々の意見ではなく、天皇が決定すると言うことも。

実は、その後の記憶はほとんどない。上空から日本列島を俯瞰して各地で火山活動が活発化している映像は記憶に残っているけれど、日本政府が国連や各国政府に働きかけて日本人難民を受け入れるよう交渉する場面はまったく覚えていない。子供だから理解できなかったのだろうか、それとも退屈して寝てしまったのだろうか。。。

ただ、最後の場面、「この世界のどこかで」という字幕が出て、雪国を走る列車の窓から空を仰ぐいしだあゆみと、次の場面でどこか砂漠地帯を走る貨物列車から砂漠を見つめる藤岡弘は強烈に覚えている。もしかしたら、地球上とはいえ、遠く離れた北国と南国で離ればなれになっているということを理解したかどうかは自信がないけれど、日本人が故郷を失って難民となり、世界中に離散してしまうと言うイメージは子供心に鮮烈に焼き付いている。

今回、見直してみて、この場面の直前、日本沈没をいち早く予言して事態の解決に奔走し、最後は沈みゆく日本と共に命を絶つことになる田所雄介博士(=小林桂樹)の台詞に小松左京のメッセージを感じた。彼は、「日本人はまだ民族として若い。今までは4つの島に守られて育ってきた。海外に進出して外国人にいいようにあしらわれても、故国に戻って母親の膝に頭を埋めるようにしていれば良かった。そんな日本人が、これから異国の地で暮らしていけるだろうか。」と首相(=丹波哲郎)に問う。これに対して、丹波は「自分は日本人を信じている」と答える。どちらが小松左京の本音に近かったのかは分からないけれど、1973年という時代に、グローバリゼーション下の日本を予見するような物語を提示した小松左京のビジョンには本当に頭が下がる。

ところで、日本という故郷を失った日本民族は、各地で難民状態となっても日本人としてのアイデンティティを保つことができるだろうか。例えば、ユダヤ人のように、何か宗教をベースとした精神的コミュニティを維持することができるだろうか。神道は土地に根ざした宗教なので、日本という場所がなくなると維持するのは難しそうだ。仏教は外来の宗教だし、日本では先祖を祀る機能に特化してしまって日常生活に影響力を及ぼさないだろう。では天皇制だろうか?しかし、私達は、日常生活の中でどれだけ天皇家を意識しているのだろう?もしかすると、映画の中で渡老人(=島田正吾)がぽつんと呟くように、「日本人は日本と共に滅びた方が良い」のかもしれない。もちろん、多くの日本人は各地で生き残り、生活を続けていくだろうけれど、それはもう日本人ではないのだ。確か、こういうことをまだ10代の頃に考えていたことも思い出した。

ほぼ半世紀前に見たたった一本の映画でも、結構、様々な記憶が詰まっているんですね。

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