ジャスティン&エリカ・ソネンバーグ著「腸科学:健康・長生き・ダイエットのための食事法」

以前から気になっていた「腸科学:健康・長生き・ダイエットのための食事法」を読了。別にダイエットがしたかったわけではなく、この本の基本的なコンセプトがとても気に入ったからだ。

この本は、マイクロ・バイオータという概念をベースにして人間という存在を再検討しようという試みである。マイクロ・バイオータとは、ヒトの腸内に生息する微生物相のこと。ヒトの腸内には、100兆個を超える微生物が暮らしている。これら微生物に含まれる遺伝子は2000万個を超える。こうした腸内細菌は、ヒトの日々の消化活動を支えているだけではない。彼らは独自の免疫系を構築して腸内に侵入した病原菌を撃退し、時にはその活動を通じてヒトの免疫系をも活性化させる。さらに、ヒトのホルモンを誘発することで、ヒトの気分や感情にまで影響を与えているというのだ。

ということは、ヒトは、ヒトが自覚しているような単一の存在ではなく、自ら持っている遺伝子だけでは処理できない多様な事態に、膨大な腸内細菌の遺伝子の力を借りて対処している共生体と考えた方が良いということだ。この考え方は、近代的な人間観を一新する。これまで、ヒトは感情を持ち、思考できることで、ヒトの独自性を担保できると考えていた。しかし、その感情や思考までもが、腸内細菌の影響を受けているとすると、そのようなヒトの独自性が揺らいでしまう。自分が思考していると思っているのは錯覚であって、実はその思考は腸内細菌の刺激を受けて発生したものだったとしたら、確実な自己という概念は瓦解する。むしろ、私という現象は、社会的な関係や外的環境、さらには腸内細菌のような存在との、日々、終わることのない相互作用の産物でしかないのだ。

ではこういう考え方は、ニヒリズムに陥るのだろうか。僕は、そうは考えない。むしろ、原始仏教が説いているように、確固たる私などと言うものは存在せず、すべては多様な相互作用の網の目がもたらす仮の現象でしかないという思想を補強する有力な材料のように思える。こう考えれば、なにかの理念や社会的立場・責任などにとらわれてがんじがらめになっている自己から解放され、より自由な発想が出来るようになるのではないだろうか。所詮は腸内細菌の影響下にあるのであれば、そんなに肩肘を張って生きていく必要はない。もっと自由に生きようと前向きになれるはずだ。

それだけではない。この本には、より実用的な情報もたくさん含まれている。副題にあるように、腸内細菌が多様で活性化されていれば、健康・長生きにも良いし、ダイエットにも役立つ。がんや感染症を押さえ込む免疫力も活性化されるし、老化に伴う記憶力の低下も予防できる。まさに腸内細菌を通じた健康づくりが可能になるのである。

他方、この本は、現代社会が抱える根深い問題も明らかにする。現代の医療では、しばしば抗生物質が投薬されるが、これによって多くの腸内細菌がダメージを受ける。さらに、抗生物質を投与された牛肉、豚肉、鶏肉などを食べると、当然、肉に残っている抗生物質を体内に摂取するため、腸内細菌は損なわれる。一度、損なわれたマクロ・バイオータを復活させるのは至難の業である。それだけではない。ヒトの胎児は、出産の際に産道を通過することで母体から大量の細菌を継承し、さらに授乳により、乳房に付着した細菌と母乳に含まれる細菌を摂取する。これらのプロセスが、乳児のマクロ・バイオータの発展に大きな影響を与えているのだ。言い換えれば、帝王切開して誕生し、母乳ではない栄養物質で育てられた赤ん坊のマクロ・バイオータは、充分に発展していない可能性がある。近年、急増している自閉症や鬱などもこうしたマクロ・バイオータの未発達と関わりがあるのではないかと考えられている。これほど、腸内細菌は重要なのである。

ということで、結構、楽しく読めました。この本のユニークな点は、医療の専門家が実証的なデータに基づいて科学的分析を行っているだけでなく、実際にマクロ・バイオータを多様化させるためのレシピと献立表をあわせて公開しているところ。この本を執筆したソネンバーグ夫妻は、研究を続けるかたわら、子供たちの健康のためにマクロ・バイオータを発展させるメニューの開発にも取り組んでいるのである。これはお買い得である。

そして、このメニューをつらつら見ていると、野菜中心で、味噌や納豆、漬物などの発酵食品を毎日欠かさず食べ、さらに海藻類や豆類を積極的に食べる日本食がいかに腸内細菌を豊かにするメニューであるかに気づかされる。日本人の長寿の理由は、実は腸内細菌ととても相性が良い日本食にあるのではなかろうか。この点からも興味深い本だった。もちろん、読了後は早速、スーパーで塩麹を購入して発酵食品づくりに乗り出しました。

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