NHK BS1スペシャル「黒澤明の映画はこう作られた〜証言・秘蔵資料からよみがえる巨匠の制作現場〜」
黒澤明が乱を撮影中の姿を密着撮影したビデオ映像をベースにした黒沢監督を巡る人物像のドキュメンタリー。監督はこれまで何度も黒沢をテーマにした番組を制作している牛山真一。関係者へのインタビューも含めてさすがの内容である。
よく知られているように、黒沢明は1950年の「羅生門」でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞とアカデミー賞名誉賞を受賞し、一躍「世界の黒沢」と評価されるに至った。しかし、その後、「七人の侍」に代表されるように、その完全主義と芸術至上主義のために制作費は高騰。黒澤プロダクションを立ち上げて独立した後は、巨額の借金を背負うことになる。起死回生のために、黒澤はアメリカのプロデューサーとの映画制作を模索するが、20世紀フォックスとの「トラ・トラ・トラ」は制作の遅延により黒澤が解任されるという結果に終わる。1970年に単独で制作した「どですかでん」も興行的に失敗し、自殺未遂を起こすまでに至る。そんな彼に映画制作の機会を提供したのが当時のソ連のモスフィルムで、1975年に「デルス・ウザーラ」を完成。これがアカデミー外国映画賞を受賞したことがきっかけで、米国側映画会社が改めて黒澤に関心を持ち、ルーカスやコッポラが共同プロデューサーとなり「影武者」が完成。さらに「乱」の成功へと続くことになる。
番組は、彼のこうした軌跡を関係者の証言で辿っていく。かつて天皇として恐れられ決して帽子を取って頭を下げると言うことがなかった黒澤が、借金で首が回らなくなり、「どですかでん」の制作の際には頭を下げて回ったというエピソード。あるいは、シベリアの過酷な気候と旧ソ連の劣悪な制作条件の中で、日本人はほぼ数名という孤独な環境の中、体調が悪化しながらも高い完成度を求め続けた「デルス・ウザーラ」の制作現場のエピソード。その映画にかける執念と情熱にはただただ圧倒される。やはり彼にとって、映画は単なる商品ではなく芸術作品だった。
だから彼にとって、映画は作家である監督のものだった。雲が空を横切るまで何日も撮影を中断させたり、気に入ったセットが出来ずに複数の場所でセットを作って撮影したり、というエピソードは、現在のような利潤追求を徹底させた映画制作からは考えられない。しかし、黒澤組のスタッフは手が空いていれば誰でも参加して道に灰をまいて馬が走る時に砂煙が立ち上るように準備し、プラスチックで作られた城壁を本物らしく見せるための泥塗りも行った。黒澤の思い描くイメージを現実化するために、スタッフ全員がプロフェッショナルとして貢献する。過酷な労働条件だったのかもしれないが、その映画に対する愛と情熱はすごいことだと思う。
印象的だったのは、「天国と地獄」で誘拐犯に抜擢された山崎努のインタビュー。その後も、「赤ひげ」、「影武者」などの黒澤作品に出演した彼は、黒澤のことを常に「あの方」と呼び、「自分はテレビ・インタビューに出演するのは苦手だが、あの方のためと言うことであれば無理を押してでも話します」と言って、黒澤のエピソードをぽつりぽつりと語っていく。その語り口は、自分の人生に決定的な影響を与えた圧倒的な存在への敬意にあふれていた。多分、どんな無理難題を言われてもついて行きたくなるようなカリスマだったんだろうな。。。「用心棒」で敵役を務め、「影武者」、「乱」で主演した仲代達矢の発言にも、黒澤への深いリスペクトが感じられた。
長い時間をかけて取材されたことが感じられる見応えのある番組だったけど、見ていてひとつ気になった点がある。黒澤の絵コンテや脚本の未定稿など、黒沢監督の制作過程の秘密を解き明かす貴重な資料の多くが、個人によって保管されているのだ。日本が世界に誇る黒沢監督の資料は、やはりきちんとしたアーカイブで保管され、一般に利用してもらうべきではないだろうか。クール・ジャパンとかネオ・ジャポニズムと称して一回限りのイベントや投資効果が定かでない「クリエイティブ・インダストリー」に巨額の資金を投じるぐらいなら、このような日本が世界に誇る映画人の資料を体系的に収集・補完するのが文化国家のあり方ではないだろうか。現在、大切に守られている資料が破損したり散逸したりする前に、きちんと公的資金を投じて収集・保管・公開すべきだと思う。