デビッド・フィンチャー監督「マンク」

デビッド・フィンチャー監督「マンク」を見る。ネットフリックス製作で、SNS上でも話題になった作品。

映画は、オーソン・ウェルズの傑作「市民ケーン」製作の舞台裏をめぐって展開する。焦点が当てられるのは、ウェルズではなく、脚本のハーマン・J・マンキーウィッツ。巨匠ジェゼフ・L・マンキーウィッツの兄である。映画は、マンキーウィッツが自動車事故で足に大怪我をし、ベッドでほぼ寝たきりになりながら、「市民ケーン」の脚本を仕上げる60日間を描く。ウェルズは、マンキーウィッツが締め切りを守れるよう、周囲に全く人気のない牧場ホテルを用意し、そこに看護婦とタイプライターを配置する。酒癖の悪いマンキーウィッツが飲んだくれて仕事にならなくなることを恐れて、酒はなし。ただひたすら締め切りまでに脚本を書き上げるよう命ずる。

映画は、マンキーウィッツが脚本を執筆しながら、過去を回想する形で進行する。思い出すのは、「市民ケーン」のモデルとされる新聞王ハーストとその愛人で女優のマリオン・デイヴィスとの出会い、MGMでの賃金切り下げと解雇、恐慌で疲弊したカリフォルニア州の知事選挙をめぐる陰謀の記憶である。ハーストは、民主党候補に社会主義者のレッテルをはり、さらに売れない俳優を動員したフェイク・ドキュメンタリーを製作して共和党候補が当選するよう画策したのだった。。。

映画で描かれるのは1930〜40年代のアメリカだが、その姿は明らかに現代のアメリカの姿に重なる。特に、2020年は大統領選挙の年でトランプ大統領が民主党を「共産主義者」呼ばわりし、フェイク・ニュースを撒き散らして人々の恐怖を煽り、再選しようと画策した。このブログを書いているのは議会でバイデン次期大統領が承認される前日だが、トランプ大統領は選挙不正キャンペーンをやめず、大規模集会を予定している。さらに戒厳令が敷かれるのではないかと不穏な憶測も流れている。この映画を観たアメリカ人にはこの映画で描かれている陰謀はかなりのリアリティがあったと思う。

舞台はMGMだが、映画会社の給料削減や組合活動、街に溢れる失業者たちが、ハリウッドのセレブ達の華やかな生活と対比される。近年の国際映画祭は、格差や貧困の問題に触れないと賞が取れないから、ネットフリックス/デビッド・フィンチャーは極めて正しいマーケティング戦略を採用したと言えるだろう。脚本も、映画史的な事実に少しずつ虚構を交えながら物語を練り上げていてリアリティがある。よくできた脚本である。映画撮影の現場や共同脚本執筆の裏側、そしてスター達の豪華な晩餐会などバックステージものとしても楽しめる。

しかし、この映画は見るだけで疲れるのも事実である。その理由は単純。室内シーンが暗すぎてよく見えないのだ。最初は演出かと思ったけど、それにしても暗すぎる。人物の顔がほとんど判別できない。これは一体どういうことだろう?ネットフリックスはサブスクリプション制の動画配信で急成長し、近年、独自の映像制作で注目を集めている。マンクも売れっ子監督のデビッド・フィンチャーを起用して話題をさらった。でも、もしかしたら製作費は結構、制約が厳しいのではないだろうか。照明設計は映画では極めて時間がかかるプロセスで、それはコストに直接のしかかる。しかも、照明がクリアであればあるほど画面のあらも見えてくるから、セットにも神経を使わなければならなくなる。俳優の動線も制約される。この尋常ではない画面の暗さは、もしかしたら製作費を切り詰めた結果なのかもしれない。そう考えると、この映画は意外と場面が限定されているのも気になる。マンクが脚本を執筆している牧場ホテルとMGMスタジオとオフィス以外はほとんど屋外である。これがこの映画の躍動感を損ねているように感じられる。

あまり一般化はしたくないけれど、ネットフリックスの映画はちょっと過大に評価されすぎているような気がする。映画好きから見ると、ちょっと金のかかったドラマぐらいの作り込みなのだ。有名な監督を起用し、脚本は練ってあるのでそれなりに魅せるけれど、少なくとも実写についてはだんだん飽きられてくるのではないだろうか。アニメならともかく、映画の場合は、やはり画面の作りがものをいう。映画祭にも参入して気になる存在ではあるが、映画好きとしては、あまりこれがスタンダードになってもらいたくないというのが正直なところである。そもそも、このマンクの物語も別に新鮮味はないお話なのだ。ウェルズが市民ケーンの脚本にほとんど関わっていないことは周知の事実なんだから。。。ウェルズが脚本にほとんど関わっていなかったからと言って市民ケーンという偉大な作品の価値がいささかも損ねられることはないだろう。

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