セリーヌ・シアマ監督「燃ゆる女の肖像」

巷で噂の「燃ゆる女の肖像」を観に行く。2019年のセリーヌ・シアマ監督作品。SNS上でも絶賛され、2020年のベストテン映画に入れる人たちも多かったし、カンヌも脚本賞とクイア・パルムを受賞していたので気にはなっていた。最近、古い映画ばかり観ているのでたまには新しい映画も観なければと思って正月早々、映画館に足を運ぶ。

物語の舞台は18世紀後半のフランス。女性画家マリアンヌはある伯爵令嬢の肖像画を依頼されて、孤島の屋敷を訪れる。その令嬢エロイーズは、自殺した姉の代わりにミラノの貴族に嫁ぐため、修道院から戻ってきたらしい。結婚相手のために至急、肖像画を描く必要があったが、結婚を望まないエロイーズは肖像画家に顔を見せようとせず作業が滞ってしまった。このため、女性画家のマリアンヌに白羽の矢が立ったのだ。エロイーズの母の伯爵夫人は、マリアンヌに、画家であることを気づかれないようにエロイーズの肖像画を描くよう依頼する。かくして、二人の奇妙な日々が始まる。昼間は二人で戸外に散歩に出かけ、夜にマリアンヌは昼間の記憶を頼りにエロイーズの肖像画を制作するという日々。やがて、二人の関係は急速に接近していく。。。

映像が印象的な映画である。基本的には、女優たちの顔を完全に横顔だけの静止ショットで見せてから演技を開始させる。フレームも、顔だけやバストが中心。横顔の輪郭がくっきりと浮かび上がる場面が続くのを見ていると、映画と言うよりも肖像画の連続写真を見ているような錯覚に捕らわれる。女性の横顔の美しさを熟知している女性監督の細やかな演出意図が感じられる。

物語も、女性が中心だ。この映画には、冒頭、マリアンヌが孤島に向かう際に乗るボートの漕ぎ手と、マリアンヌが孤島を去る際に迎えに来た人足以外、男性は登場しない。孤島の住民たちも含めて登場するのは全て女性。まさに女の園での出来事が語られる。基本的にはマリアンヌとエロイーズ、伯爵夫人、そして侍女のソフィの4人の女たちの物語だけど、時に、島の女たちも登場する。伯爵夫人が島をしばらく不在にして3人だけの生活が始まった時に、3人が出かける島の女たちの会合の場面が印象的だ。漆黒の闇の中、焚火の周りに集う島の女たち。老女もいれば、少女もいる。闇の中、焚火の光に照らされてそこかしこで輪になって何ごとかを話し合う女たちの姿には非日常的なものが感じられる。ふと、魔女たちが集うサバトのイメージが頭をよぎる。その非日常的な雰囲気の中で、映画のタイトルにもなった「燃ゆる女」のイメージが立ち現れる。特に説明もない突発的な事件ではあるけれど、そのイメージは鮮烈で、言葉を超えた余韻を残す。良い場面だと思う。

あまり下世話な話しはしたくないけれど、監督とエロイーズ役のアデル・エネルは同性パートナーとして共に暮らしていたが、本作の撮影前に友好的に別れたとのこと。この作品においてマリアンヌがエロイーズを見る視線は、肖像画家としての視線であれ、あるいは恋人としての視線であれ、どこか普通の映画の文体を離れてただアデルの姿だけを追っていこうとする執着のようなものが感じられるけど、それはマリアンヌの主観であると共に、監督の主観だったのかもしれない。別れてしまったパートナーへの切ない思い。ボーイズ・ラブものがこれだけ流行しているのだから、この作品のようなガールズ・ラブものが流行るのも分かる気がする。映像は美しいし、物語は情熱的だ。

とは言え、映画として面白いかというと、僕のような古典的な人間にはちょっとついて行けないところがある。マリアンヌがなぜエロイーズに惹かれていくかの動機付けもよく分からないし、エロイーズが結婚をいやがっているのに結局、結婚を受け入れるのもよく分からない。字幕の翻訳だから仕方がないのかもしれないけれど、最後まで二人の会話が少し距離を置いた「です、ます」体に終始するのも謎である。映画において何度か挿入される純白のドレスに身を包んだエロイーズのイメージも唐突な印象を受ける。

ということで、僕は熱狂的な感動にはいたりませんでした。もしかしたら、古い映画の見過ぎで新しい映画について行けなくなったのかな。。。。

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