工藤栄一監督「十三人の刺客」
最近、録画したままの映画を毎日のように観ている。再び緊急事態宣言で外出もままならないので、まあ、絵に描いたようにルーチンが続く毎日を過ごしているから仕方がない。それはそれで良いことなのかもしれない。医療関係者やエセンシャル・ワーカーの皆さんのご苦労には本当に頭が下がるけれど。
今日は、工藤栄一監督の「十三人の刺客」を観る。1963年の作品。片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、里見浩太朗、丹波哲郎、藤純子他が出演。僕が今更何かを付け加えることなど何もない時代劇映画史上に残る傑作である。
物語は、明石藩主の松平斉韶をめぐって展開する。彼は徳川家慶の弟だが性格は残忍で暴虐の限りを尽くす暗君だった。これを憂う老中・土井利位は、旗本・島田新左衛門に松平斉韶の暗殺を命ずる。新左衛門は、侍十三名を集めて、参勤交代で明石に戻る途中の斉韶一行を中山道落合宿で待ち伏せする。かくして、五十三名対十三名の血みどろの戦いが幕を開ける。。。
最後の戦いの場面は、30分に及ぶ長い殺陣シーンである。それまでの画面が、ワイド画面に最小限の人と家具を配した空間を感じさせるものだったのが、戦いの場面は一転して狭い路地や屋内で展開する。少人数で多数の敵を相手にしなければならない新左衛門たちは、宿場町全体を迷路のような空間に変え、そこに敵を追い込んで1人ずつ倒していくという戦略を取ったからだ。この限定された不自由な空間で、侍たちが密集し、混乱の中で斬り合う場面が強烈である。それまでの開放的な空間の連鎖から、狭い空間での斬り合いへの転換が印象的である。
そこで展開される殺陣はぎごちなく、不器用で、それがかえって刀や槍による殺し合いのリアルさを引き立てる。映画中で新左衛門が、「この時代に刀で斬り合いをやった侍などいない。そんな平和な時代に侍として戦うことが出来るか」と呟くが、まさにその通りの血みどろの戦いが繰りひろげられる。それは、50年代の舞踊のように華麗で優美な殺陣とは対照的だ。任侠映画が実録ヤクザ映画へと変わっていったように、時代劇もこの映画で実録タッチの集団抗争劇へと転換する。その点でも興味深い作品。
それにしても、工藤栄一監督の演出はストイックで簡潔だ。片岡千恵蔵が唯一感情の高まりを示すのが、昔、道楽で習ったという三味線による一瞬の激しい演奏ぐらい。あとは、暗君の松平斉韶以外、ほとんどの登場人物は声を荒げることもなく、武士として、公儀のため、あるいはお家のための死に場所を求めているかのように寡黙に目標達成に向けて邁進する。それがこの作品の最大の魅力である。
名作は何度観ても面白い。2010年の三池崇史監督のリメイク「13人の刺客」はまだ観ていないけれど、今度機会があれば観てみることにしよう。過剰な演出が本領の三池監督がこの作品をどのように料理したか、ちょっと興味がある。