マーヴィン・ルロイ監督「若草物語」

BSで録画したままになっていた「若草物語」を観る。マーヴィン・ルロイ監督が1949年に監督した作品。ジャネット・リー、ジューン・アリソン、マーガレット・オブライエン、エリザベス・テイラーが4姉妹を演ずる。豪華な女優陣だけど、主役のジューン・アリソンをのぞけばまだみんなキャリアの初期だから初々しい。長女のジャネット・リーの清純さを観ていると、彼女が10年後に「サイコ」で殺される役を演ずるなんてまったく想像も出来ないし、エリザベス・テイラーも、子役から少女役に変わったばかりの感じでまだ大女優の面影はない。でも、やはりそれぞれ光るものを持っている。

この作品については、たぶん説明する必要はないだろう。オルコットの自伝的小説で4姉妹の少女時代から成人・結婚とその後の生活が描かれた物語。1933年にジョージ・キューカー監督で映画化されているが、その前にも映画作品がある。また、このマーヴィン・ルロイ監督版の後も、何度もリメイクされている。日本映画でも翻案があるし、テレビ・ドラマやミュージカルもある。最近では、グレタ・ガーウィグ監督が「ストーリー・オブ・マイライフ/私の若草物語」でリメイクしている。世界中に愛された物語である。

お恥ずかしい話だけど、僕はこの年までこの映画を観る機会がなかった。どうせ結婚願望を持った娘たちの少女趣味のお話だろうぐらいに考えてスルーしてきてしまったのである。しかし、今回、きちんと観ることができてはまってしまった。やっぱりこれだけ愛される名作は見る価値がある!最近、このブログでいつも懺悔しているような気がするけど、今回も見終わった後に映画の神様に心から自分の無知と傲慢を懺悔しました。はい、これからは好き嫌いせずにできるかぎり色々な映画を観ます。「クオ・ヴァディス」を観てつまらなかったからといってマーヴィン・ルロイ監督の作品を全否定するなんて言う愚かな振る舞いは今後、絶対にしません!

話がそれてしまった。「若草物語」について語らねば。

冒頭からこの映画は、映画的魅力にあふれている。雪道を次女のジョー(=ジューン・アリソン)が自宅に駆け戻ってくる。くるぶしまでの長いスカートをはいた彼女は、他の姉妹たちが窓から見つめている目の前で、なんといきなり庭の柵をひらりと跳び越えるのだ。しかも、そのまま着地に失敗して頭から雪に突っ込んでしまう。目を丸くして見つめる姉妹たち。しかし、ジョーは何ごともなかったかのように立ち上がって雪を払うと、改めて門から柵の外に出る。少し助走したあとに再び庭の柵をひらりと跳び越えて、今度は見事に着地し、窓越しにジョーの転倒を笑っていた姉妹たちに一発雪の塊を投げつけると、そのまますたすたと室内に入ってくる。このスピード感と、彼女の身のこなしの素晴らしさ!

この場面の後、そのまま短い会話を経て4姉妹は室内でクリスマスのお芝居の練習を始める。これだけで、姉妹のそれぞれのキャラクターが簡潔に描かれる。おしとやかだけど貧乏を気にしている長女のメグ(=ジャネット・リー)、プライドが高くいつも身なりを気にしている三女のエイミー(=エリザベス・テイラー)、そして音楽の才能があり優しく慈愛に満ちた四女のベス(=マーガレット・オブライエン)。次女のジョーは、活発で男勝りで小説家志望の娘だと言うことが明らかになる。そして、このお芝居の場面の躍動感と4人の絶妙の掛け合いを観るだけで、観客は一気に映画の世界に引き込まれる。その手際よい演出に舌を巻く。

その後、物語はジョーと隣の家に引っ越してきた若者ローリーとの恋をめぐって展開するだろう。これにお金持ちだけど口うるさくてケチなおばさんや、事業に失敗して軍に志願した父親、ローリーの厳格なおじいさんとベスの交流など、様々なエピソードが展開されていく。でもそこには、常に音楽があり、アクションがあり、軽快な会話と姉妹たちの慈しみがある。特に女優たちの動きが素晴らしい。ジョーがローリーを突き飛ばして突然走り出し、ローリーが慌てて彼女を追いかける場面。長いスカートを高々とあげて下着が見えるのも気にせず疾走するジョーの無償の運動性は、ただそれだけで映画を観ることの幸福を感じさせる。でも、そういう突発的なアクションだけでなく、例えばちょっとした諍いの後にジョーが階段を駆け上がる姿や、母親が娘たちの部屋を覗いてから優しく扉を閉める何気ない動作に至るまで、全ての動きにリズムと優雅さがある。ハリウッド黄金期の映画的贅沢を実感する。

そして素晴らしい室内セット!4姉妹がクリスマス・プレゼントを買いに行く雑貨屋には帽子も本も文房具もあり、楽譜まで売られている何でも屋。そのずらりと品物が並んだ棚がとても魅力的である。さらに素晴らしいのが、ジョーが執筆のために使っている屋根裏部屋。正体不明の家具や置物が乱雑に並んでいる中に執筆用の机が置かれていて、ちょっとした隠れ家のようになっている。とても居心地がよさそうだ。その卓抜な空間設計にただ魅せられてしまう。

こうやって書き連ねていっても、とてもこの映画の魅力は書き尽くせない。素晴らしい色彩設計、さりげない会話から垣間見える人びとの人生。そして、繰り返し強調される貧しい人への思いやりと寄付。少女たちの恋の物語以上に、こうしたキリスト教的な寄付と慈善活動が大きなテーマになっている。気になって原作者のオルコットについて調べてみたら、彼女は米国の有名なトランセンダリスト(超越主義者)の娘だった。彼女の父親は、トランセンダリズムの思想を実践するための実験的な学校を設立した人で、エマソンやソローとも交流があった人らしい。教会の中に神を見いだすのではなく、自然の中に沈潜し、その大いなる循環の中に神秘を探ろうという極めて東洋宗教に近い発想を持ったトランセンダリズム。その深い影響下にあったオルコットにとって、男と結婚して幸せな家庭を築くというような世俗的なあり方よりも、隣人を愛し、貧しいものに施しを与え、芸術的な霊感を味わい、世界の神秘に至ることの方がより重要だったのだろう。だから、この物語は4姉妹の物語ではあるけれど、焦点は小説家志望で活動的な次女のジョーと、音楽的才能にあふれ、慈悲深く、内気だけれど神に最も近い四女のベスの二人を軸に展開していく。決して、女の幸せをめぐる物語などではないのだ。

この映画は、結局、結婚に否定的だったジョーが愛を受け入れることで幕を閉じる。彼女がそのように成長できたのは、四女ベスの死が深く影響している。ベスは、ある意味で自らの死によってジョーを導いたと言えるかもしれない。そうした物語の展開にも、トランセンダリズムの影響を感じてしまうのは深読みすぎるだろうか。

余談だけど、この映画を観た後に、そういえば四人姉妹の話というのは、「細雪」から「海街diary」にいたるまでたくさんあるけれど、「若草物語」の影響は結構大きいのではないかと考え始めた。多分、映画史には「四人姉妹もの」ジャンルがあり、「若草物語」を原型にして多様な展開を遂げているような気がする。時には、四人兄弟ものという変形バージョンも生まれただろう。きっと、どこかの映画研究者がこういうテーマで論文を書いていると思うので、どなたかご存じであれば教えてください。

そんなことをつらつら考えていると、蓮實重彦先生が「映画 誘惑のエクリチュール」で「四の悲劇」というエッセイを書いていたことを思い出した。このエッセイは、基本的にビートルズ主演映画を何本か撮ったリチャード・レスターをめぐる論考だけど、四という数字をめぐった思索には、やはり「若草物語」が引用されている。結構面白いと思うので最後に引用しておきます。

四人であるものたちは、いまや劣勢にある。中国大陸のさる一都市で演じられつつある茶番劇がそれを象徴しているように、四人組はいたるところで旗色が悪い。四面楚歌とはそうした事態を指すのではなかろうが、四はどうやら不吉な数となりつつあるように思う。もっとも、映画の領域にあっては、これははじめからそうと決まっていたかのようだ。四はいかにも生き延びにくい数なのだ。あのマルクス兄弟たちを見てみるがよい。四人目のゼッポが姿を消すことによって、グルーチョとチコとハーボの三人ははじめて生き延びることが出来たのだ。(中略)

四への執着は、映画では何ごとかの別離を必然化する。四人組は単に解散しただけではすまなかったのである。「若草物語」の末の娘が病死するように、「テキサスの四人」の一人が裏切るように、「四枚の羽根」の一人が孤立化するように、誰かが欠けて三人とならなければならない。そして、四に執着するリチャード・レスターに資質の上でもっとも近いジョン・レノンが、いま、その不幸な役割を引き受けることになったのだ。

映画における数秘学の可能性。フランス現代哲学の影響を受けたテマテズム、表層批評による「不吉な数」としての四についての考察が、ふと「若草物語」に言及する時、こうした表層批評がふいに19世紀米国の一群の思想家が追求した超越主義と接続してしまう。しかも、「若草物語」における「四女」は、単に残りの3人の結婚を成就させるために不在とならなければならない消極的な存在ではない。四女ベスは、貧者と共にあり、わずか食べ物を彼らと分け合い、病に倒れた子供たちの看病をして感染してしまい結局命を落とすことになる。聖性故に世界の汚濁を一身に引き受けて世界の浄化に貢献する特別な存在なのだ。彼女が幼いながらも死を覚悟してジョーに語りかける長い会話によって、ジョーが自身の生に与えられたミッションに目覚める場面の感動の背景には、超越主義をベースにしたこんな神話的思考が息づいている。

数秘学から表層批評を経て超越主義に新たな光が与えられる。こんな刺激的な遭遇を組織してしまうのも映画的思考の醍醐味なのかもしれない。

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