フランクリン・J・シャフナー監督「パットン大戦車軍団」

BSで録画したままになっていた「パットン大戦車軍団」を観る。1970年公開作品。脚本にフランシス・フォード・コッポラ監督が入っている。主演はジョージ・C・スコット。

この作品は、アカデミー賞で、作品賞、監督賞、主演男優賞、脚本賞、編集賞、美術賞、録音賞の7部門を受賞した。同年には、「大空港」、「M★A★S★H マッシュ」、「トラ・トラ・トラ!」、「レット・イット・ビー」、「ある愛の詩」、「ひまわり」、「ファイブ・イージー・ピーセス」、「サテリコン」、「モード家の一夜」、「哀しみのトリスターナ」、「恋する女たち」、「小さな巨人」などの作品がノミネートされている。これらの名作を差し置いての最多部門受賞だからいかにこの映画が高く評価されたかが分かる。

僕も、事前の情報を全く知らずに見はじめたけれど、確かに面白かった。当時のアメリカは社会的にはヒッピー・ムーブメントとベトナム反戦運動が盛り上がり、映画界はニューシネマが勢いをつけていた時代だった。そんな時代の中で、いきなり巨大な星条旗を背景にパットン将軍が舞台上に現れて、「臆病者は去れ」、「ドイツ兵に血を流させろ」などと兵隊たちに檄を飛ばすという、タカ派全開のオープニングで始まるこの映画がアカデミー賞をほぼ総なめしたというのは意外に思えるかもしれない。しかし、この映画は、よく観ると単純なタカ派の戦意高揚映画ではないことが分かる。

この映画で描かれているのは、何か巨大なものをうちに抱え込んでしまった天才が、時代に向き合い、素晴らしい業績を挙げながらも、最終的に社会に認められず挫折し、歴史から消え去っていく物語。語り口自体は、「猿の惑星」、「パピヨン」、「ブラジルから来た少年」などの傑作を残したシャフナー監督のタッチだけど、ここで描かれるパットン将軍の人物造型は、「ゴッドファーザー」のマイケル・コルレオーネ、「地獄の黙示録」のカーツ大佐、「タッカー」のブレストン・トマス・タッカーなどのコッポラ的人物。何かに取り憑かれたように、壮大な目標に挑戦し、超人的な才能と努力で前人未踏の業績を達成しながら、時代に受け入れられずに没落していく人物を描かせたらコッポラの右に出る者はいない。そういう意味で、この映画は、シャフナー監督の作品ではあるけれど、コッポラ監督の色彩が濃いものに仕上がっている。

(余談だけど、主演のジョージ・C・スコットは、アカデミー主演男優賞の受賞を辞退したとのこと。アカデミー賞のような馬鹿騒ぎに付き合っていられないというのが理由だそうだけど、まるでパットン将軍を地でいくような振る舞いにはちょっと心惹かれる。)

映画は、第二次世界大戦中のアメリカ軍のジョージ・パットン将軍を軸に展開する。彼は、北アフリカでの戦功が認められ、シチリア島侵攻の際には第七軍司令官として采配を振るい、ライバルの英国軍モンゴメリー将軍に先んじてパレルモ、そしてメシナを攻略。しかし、戦争後遺症で病院に収容されていた若い兵士を腰抜けと罵倒して殴ったことが問題視されて解任。ノルマンディー上陸作戦の際には、「おとり」に使われるという屈辱的な扱いを受けるが、上陸後の戦線の膠着で再び第3軍司令官に復帰。有名なバルジの戦いでドイツ軍を撃破して英雄になる。しかし、ドイツ降伏後の過激な発言が災いして再び左遷されるところで映画は終わる。(映画には描かれていないけれど、左遷されて3ヶ月後に彼は自動車事故で亡くなることになる。)

このパットンのキャラクターが、とにかくユニークである。戦車部隊を率いた電撃戦で圧倒的な勝利を収める天才的な軍事戦略家だが、同時に輪廻転生を信じていて、自分はカルタゴのハンニバル将軍を初めとした歴史上の様々な軍事戦略家の生まれ変わりだと信じていた。米国人だが、フランス語を流暢に操り、古典文学の教養も深く、さらに戦史を徹底的に研究してこれを実戦に活かす努力家でもあった。その発言は過激で、兵士に対して厳しく、少しでも規律が乱れたり臆病風を吹かせると罵声を浴びせ殴るという独裁者でもあった。率先して前線で指揮を執ることを好み、映画中では、二つの部隊が交差点でぶつかってしまい立ち往生した際には自ら交通整理をして部隊を前進させたエピソードが描かれている。ウェストポイントを卒業したエリート軍人でありながら、たたき上げの精神も忘れない魅力的な人物だ。

だから、この映画はこれまでの戦争映画と異なり、派手な戦闘場面よりも、パットンと将校や兵士たちとのやりとり、あるいはパットンの指揮ぶりに焦点が当てられる。しかも、ただ第二次世界大戦の戦いを描くだけでなく、欧州という地が持っている歴史的記憶にも焦点が当てられる。例えば、パットンが北アフリカのローマ時代の戦跡を訪問する場面。パットンは、まるでローマ時代にそこで戦った記憶を甦らせるように、戦いについて語る。確かに彼は輪廻転生を信じており、彼という人物の中には長い歴史を通じて戦乱に明け暮れたヨーロッパ文明のDNAが脈々と流れているようだ。

この映画で脚本を書いた後、コッポラ監督は「ゴッドファーザー」で大成功し、巨匠の座につく。その後、地獄の黙示録という超大作を完成するが莫大な制作費のために借金を抱えてしまう。起死回生を目指した「ワン・フロム・ザ・ハート」も失敗し、コッポラ監督はさらに借金を重ね結局自身の映画会社を売却する羽目に陥る。しかし、その後も彼は映画を撮り続け、最近では自分が経営するワイン会社の収益を使ってとてもインディペンデントで魅力的な作品を作り続けている。彼もまた、何か巨大なものに取り憑かれたかのように、興行性を無視した壮大な映画づくりに挑戦し続ける。その姿は、パットン将軍に通じるところがある。コッポラ監督作品に登場する過激な天才たちは、もしかしたら監督自身の投影なのかもしれない。

もう一つ、この映画には、コッポラ監督の個人的な関心が反映されている。それは「輪廻転生」という主題である。このテーマは、コッポラ監督が採算性を無視して自分の撮りたい映画を撮り始めた2000年代の映画に顕著である。例えば、「コッポラの胡蝶の夢」は、「異言」を語る女の言葉を研究する言語学者の話だった。「異言」とは、学んだわけでもないのに突然、異国の言語を話し始める超常現象の一つだが、聖書にも記されているし、全世界で報告されている現象である。「胡蝶の夢」では、その「異言」が、過去に喪われてしまった古代語に遡るところに特徴があった。いわば、コッポラはこの映画を通じて、人が人類の持つ過去の記憶にどのようにアクセスするかを描いているのである。その発想は、新たな生の中に前世の記憶が残るという「輪廻転生」の発想に近しい。

コッポラ作品における神秘思想の系譜。それは、「地獄の黙示録」、「ドラキュラ」、「ヴァージニア」などの監督作品に現れているし、製作作品も含めれば、「No Such Thing」、「スリーピー・ホロウ」、「フランケンシュタイン」などにも見られる。もしかしたら、コッポラ監督にとって、過剰な何かを抱え込んで歴史に対峙する天才という主題と、超越的な場所からこの世界の通常の営みに介入してくる神秘的な力という主題は、密接に関わりを持った基本テーマだったのかもしれない。コッポラ監督のその後の主題の展開を方向付けたという点でも、「パットン大戦車軍団」という作品は興味深い。

シェア!

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。