工藤栄一監督「大殺陣」

昨日に引き続き、工藤栄一監督「大殺陣」を観る。1964年の作品。「十三人の刺客」と同じ池上金男脚本。出演は里見浩太朗、平幹二朗など。シチュエーションは、ほとんど「十三人の刺客」と同じ。

江戸時代、4代将軍・家綱の治世。大老・酒井忠清は家綱の弟の綱重を次期将軍に擁立し、天下を我が物にしようと企んでいる。酒井の悪政がこれ以上続くのを阻止するため、兵法家・山鹿素行は一党を組織して酒井の暗殺を計画するが、酒井に察知されメンバーのほとんどが投獄される。そんな中、山鹿は警備の隙を突いて、酒井ではなく綱重の暗殺を試みる。わずか数名の手勢で、大勢の従者を従える綱重の暗殺は果たして可能なのか。。。

クライマックスとなる殺陣の場面も、「十三人の刺客」同様に、大勢の従者に切り込んでいく一党との泥試合の様相を呈する。ただし、今回は、舞台が宿場ではなく新吉原となり堀に囲まれている点が異なる。斬り合いも、堀に飛び込んでの水の中での死闘である。このため、「十三人の刺客」以上に殺陣は不自由で動きが拘束される。斬り合いをしているのか、取っ組み合いの喧嘩をしているのか分からない状況。しかも、今回は、「十三人の刺客」のように計画を練った待ち伏せでなく、最初から死を覚悟した決死の斬り込みである。ほとんど仁義なき戦いと同じようにぶれまくる手持ちカメラで集団抗争時代劇が展開する。誰が敵か味方かも分からない混沌とした状況の中、ただ人が死んでいく。過激な映画である。

しかし、基本的な構成は似ているけれど、「大殺陣」には独自のテーマも感じられる。それはテロリスト群像の映画だという点である。「十三人の刺客」では、大義のために悪を撃つという明確な建前が十三人の武士にあり、正義が機能していたように見える。しかし、「大殺陣」では、そのような正義は後景に退き、むしろ追い詰められたテロリスト集団の狂気の方が強調される。例えば、山鹿素行の姪で密命を受けて一党を組織するみやを強姦し、挙げ句の果てには殺してしまう狂信者・日下仙之助や、暗殺決行の前夜、累が及ばないよう妻子を惨殺する星野友之丞の人物造型からもこれは明らかだろう。仲間を売ろうとして斬られ、結局、山鹿素行が首謀者であることを堺側に告げて死ぬ岡部源十郎もそうだ。「大殺陣」において、工藤監督は、暗殺者たちをヒーローではなく、欲望のままに振る舞い、残酷で、時には仲間を裏切る生々しい存在として提示する。

たぶん、こうした描き方の背景には、1960年代の学生運動の内実が色濃く反映されているのだろう。60年安保で高揚した学生運動だが、彼らが掲げる理念とは裏腹に、現実には内ゲバがあり、裏切りや密告があり、さらには女学生の強姦などもあったはずだ。そういう時代の空気が、時代劇の姿を借りて生々しく描かれているのかもしれない。こういう点で、映画のトーンは暗く、後味は悪い。

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