チャーリー・チャップリン監督「キッド」
BSシネマでチャップリンの「キッド」が放映された。1921年公開のサイレント映画。そうか、今年はキッド公開100周年なんだ。さすがBSシネマ、気の利いたことをやりますね。
この映画について、僕が付け加えることは何もない。チャップリン監督・主演のサイレント映画であり、それまで短編コメディを取ってきた彼が初めて1時間の長尺物に挑んだ作品。ストーリー性、スラップスティックの切れ、子供の演技、笑いの中に涙があり、そして幻想的な夢の場面まで撮ってしまうという、今から見てもとても斬新な作品。屋根の上を駆け巡るチャップリンのアクションは素晴らしいし、夢の場面での飛翔シーンの浮遊感が心地よい。チャップリンも楽しそうに撮っている。
今回、改めて観直して、冒頭の字幕が心に刺さった。慈善病院の正面玄関が映し出され、1人の女が赤ん坊を抱いて出てくる。これにかぶさる字幕が「この女の罪は、子供を生んだことだった」である。映画では、この子供が捨てられ、この赤ん坊に偶然チャップリンが出会うことから物語が始動する。映画はドタバタの末にハッピー・エンドで幕を閉じるが、シングルマザーを取り巻く厳しい現実は、100年後の現代でも変わらない。最近でも就職活動で上京した女子学生が、飛行場で赤ん坊を出産し殺したという容疑で捕縛されたという記事を読んだ。自己責任の名の下に、社会が手を差しのばさず、彼女らがどうしようもない中で過ちを犯せば厳しく罪として追及する。理不尽な世の中だと思う。もしもチャップリンが生きていて、現代社会の現実を知ったら、どんな映画を撮っただろうか。きっと現代のSFX技術を駆使してすごいスラップスティックを作り上げただろう。でも、彼はこの時代においても、人間の社会が抱える問題を厳しく追及しつつ、それを笑いを交えた心温まる物語に仕立て上げたと思う。
余談だけど、ウィキペディアを見ていたら、キッドの子役を務めていたジャッキー・クーガンのその後が記事になっていた。彼は、天才子役として一躍売れっ子になったけど、大人になり、戦後はテレビ版の「アダムズ・ファミリー」でフェスター・スランプを演じたとのこと。あのかわいい子供がフェスターとは!人生どうなるか分からないものですね。