ジュリエット・シャーマン=バーグ著「完全版 運命のタロットカード Beginner’s Guide to TAROT」

鏡リュウジさんの「タロットの秘密」に触発されて、早速、タロットカードを買いに出かける。

本当は、本格的にウェイト=スミス版が欲しかったけど、書店に在庫がなかったので、とりあえず入門用にジュリエット・シャーマン=バーグの「完全版 運命のタロットカード」を購入。入門版と銘打っているけれど、結構面白い。ジュリエット・シャーマン=バーグは、これ以外にもユング派分析家のリズ・グリーンとの共著で「信託のタロット」という本も出版している。この信託のタロットは、デッキをすべてギリシア神話に置き換えたもの。ユングが提唱した元型論を踏まえてギリシア神話の世界を通じて人間の普遍的な無意識を反映させようとしたものである。シャーマン=バーグ自身も心理療法家なので、この「完全版 運命のタロットカード」は、タロットを通じて未来を占うだけでなく、占われる人の心の成長も把握できるようになっている。

付録の解説にさっと目を通して、さっそく自分のことを占ってみる。まず、小アルカナの56枚のカードを使い、「ケルト十字スプレッド」で僕自身の日常生活を占う。現在の位置から邪魔をするもの、理念、基盤、近い過去と近い未来、なりたい自分と他人から見た自分、希望と恐れ、そして結論という形でカードを出していく。驚くほど当たっている。何というか、カードを通じて明確に意識していなかった心の屈託や不安を意識化させられるような感じ。これはすごい。

続いて、大アルカナの22枚のカードを使い、「ヘキサグラム・スプレッド」で僕の精神生活を占う。自分自身の精神生活を占うというのも考えてみれば変な行為だけれど、これもやはり本質的な結果が出てきて面白い。カードは順に、問題の根源、感情と人間関係、知性とキャリア、問題の核心、無意識の影響、意識の影響と欲求、問題を示していく。それぞれに納得がいくし、問題の根源〜核心〜頂点と深まっていくのが、そのままこれから進むべき僕の精神生活の方向性を示しているようにも感じられる。

最後に、フルデッキの「馬蹄形スプレッド」で、現状を総括する。カードは順に、現在の位置、現在の予想、予期せぬ出来事、近い未来、遠い未来を示す。たった5枚なのに、ケルト十字スプレッドとヘキサグラム・スプレッドで出たカードが再び現れる。これらのカードは、おそらく今の僕に深い影響を持つカードなのだろう。

ということで、僕はほとんど違和感なく、自然にタロットカードに入っていくことができた。多分、カードの読み方はまだ表層的で、もっと奥深い読み方ができると思う。ウェイト=スミス版など他のカードを使えば、また違う世界が見えてくるに違いない。そのためには、カードとの対話を繰り返して経験を蓄積していく必要がある。それは、僕がこの10年間ほど実践してきた易占いで証明済みだ。易占いの場合も、最初は出てきた卦の意味を理解するのに手間取った。今から考えると、大きく誤解した読みをしてきたことが何度もある。でも、様々な局面や人を対象に易占いを続けていけば、徐々に易が示す未来の姿が見えてくるようになる。同じことがタロットにも当てはまると思う。

まだ始めたばかりでただの印象論に過ぎないけれど、易占いがより大きな時の流れの中で、いかに道を外れずに我が身を処していくかという観点からの指針を提示してくれるとすると、タロットはより個人的な世界に焦点を当てて、周りの人間関係や置かれた環境の中でどのように対処していくかを提示してくれるもののようだ。多分、解釈の体系が異なることによるのだろう。易占いの解釈体系が天地万物の要素に基づくのに対し、タロット占いの解釈体系はより人間的なシンボルが使われていることも一因だと思う。

それにしても、なぜ占いは当たるのだろうか。ただ、精神を静めて自己の内面に集中し、無心でカードや筮竹をシャッフルして並べ替えるだけの行為なのに、その結果には明確な指針が読み取れてしまう。おそらく占いは、人間が共同体を作り始めたのと同時に発生した最古の呪術的行為の一つである。これは何を意味するのだろうか。

ユングは、易占いや占星術の探究を通して、シンクロニシティという考え方に到達した。相互に何の影響も作用もないのに、2つの事象が同期してしまう現象。その理屈からすると、タロットカードや易は、私を取り巻く目に見えない流れやパターンとカードや筮竹が同期してこれを可視化していると解釈することができる。何故そういうことが起きるのかについての合理的な説明は一切ないけれど(ところで、「合理的な説明」とは一体何だろう?)、この解釈はある種、本質を突いているように感じられる。

世界は、必然の集積でもなければ偶然の集積でもなく、ある種のパターンや動きが相互に共鳴し合い反響し合いながら、全体として変化を遂げていく場なのだろう。カードや筮竹は、その相互反響や共鳴を可視化しているのだ。あるいは、もう少しロマンチックに、人間より高次の精神的存在が、カードや筮竹を通じて僕たちに語りかけているのかもしれない。実際に占った経験からは、この解釈が実感として一番近いけれど、何はともあれ、占いは単純に未来の姿を提示するだけでなく、占い者の精神的成長を促す貴重なツールであることだけは確かだと思う。

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