フレッド・M・ウィルコックス監督「禁断の惑星」

BSで「禁断の惑星」が放映されたので早速鑑賞。1950年代SF映画の金字塔と言われる作品だけど、僕はこれまで観る機会がなかった。でも、ロボットのロビーとか、未知の惑星の怪物イドというのは、色々なところで読んでいたので、あまり新味はない。1956年の作品だから、仕方がないとは言え、科学的な設定も突っ込みどころが満載で、あまり楽しめるところがなかった。50年代の映画でも、西部劇、フィルム・ノワール、ロマンスと、今から観ても面白いし、発見がある作品はたくさんあるんだけど、SF映画の場合は賞味期限が早いのかもしれない。

大体、映画の冒頭から、「人類は、光速を超えた移動技術を手に入れ、深宇宙に乗り出した。新たな征服と植民地化の時代が始まったのである」と堂々とナレーションが始まるところで既に引いてしまう。今どき、「征服と植民地化」はないよな。。。SFの世界も進化していて、宇宙ものは未知の文明や知性との遭遇や神秘を描かないと面白くない。美女とロボットと宇宙人を出しておけば良い時代は終わったのだ。

唯一楽しめたのは、この映画で初めて用いられたという電子音楽のBGM。今の耳からは、素朴な音だけど、それなりに聴かせる。作曲者はよほどうれしかったのだろう。ほぼ全編にわたりこれでもかというぐらい電子音が鳴り響いていました。映画音楽史的には面白い作品なのかもしれない。。。

とは言え、50年代にも「ボディ・スナッチャー/恐怖の街」、「遊星よりの物体X」、「地球の静止する日」、「宇宙戦争」、「縮みゆく人間」、「ハエ男の恐怖」、「渚にて」などの傑作SFはあります。これらの作品は、今観ても面白いし、リメイクすればヒットする。もしかしたら、「禁断の惑星」も切り口を変えてきちんとリメイクしたら面白いかもしれない。

ただし、リメイクの際には、50年代の流行だった似非フロイト理論の「イドの怪物」だけでは今どきの観客に受けないので、むしろストーリーの主眼は失われた高度文明の探求に向けられるべきだと思う。彼らが実は高度な知的生命体として生き残っていて、知的レベルで圧倒的に劣る人類に働きかけてくるが、それは人類の理解を超越していた。これを理解するために、人類は高度なAIを駆使してコンタクトを試みるが、それによってAIが暴走をはじめてしまい・・・なんて言う物語と、精神の高度な進化の果てにあるビジョンを組み合わせれば、けっこう良い映画になると思うんだけど。。。

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