「STEPS AHEAD: 新収蔵作品展示」@アーティゾン美術館

午前中に練馬区立美術館で「電線絵画」展を観た後、都内に出て東京国立近代美術館の「あやしい絵」展に移動したら、なんと長蛇の列。案内の人に聞いたら1時間半待ちとのこと。やれやれ。さすがにそんなに待つ気にならないので、予定を変えてアーチゾン美術館へ。こういう時、都心にありながら素晴らしいコレクションで一時の安らぎを与えてくれるアーチゾン美術館は貴重な場所だと思う。しかも、コレクションに印象派だけでなくきちんと抽象表現主義やアンフォルメル、具体、さらにアボリジニー・アーチストまで加わっている趣味の良さ!僕にとってアートの原点の作家たちの作品と語り合うことができる大好きな空間である。

今回の展覧会は「Steps Ahead」と題して、新たにコレクションに加わった作品を、既存の作品の中で見せる展覧会。既存のコレクションと並べることで、コレクションの哲学と方向性を示すという点でも参考になる。特に、僕のように抽象画が大好きな人間にとっては、色々と学ぶべき点が多い。

まずは、1950年代のアメリカ抽象表現主義の画家の作品から。この時代は、ロスコとポラックが二大巨頭だけど、一口に抽象表現主義と言っても多様な形態を取っている。海外では、ジェンダーの観点から、当時、女性だからというだけで男性の評論家から低い評価しか受けなかった女性の抽象表現主義アーチストに光をあてた企画展などが行われている。

そういう意味で、今回の新収集品にリー・クラズナーの作品が入っているのは興味深い。ジャクソン・ポロックのパートナーであり、お互いに影響を与え合った画家だけど、ポロックが交通事故で亡くなった後もアクション・ペインティングを続け、独自の世界を開拓していった人。ポラックの影に隠れてしまっていたけど、色彩の感覚や、ブラシの大胆さにはクラズナーのユニークさを感じる。

リー・クラズナー「ムーン・タイド」

そういう意味では、同じく女流画家のジョアン・ミッチェルの作品がコレクションに加わったのもうれしい。「ブルー・ミシガン」と題されたこの作品は、ミッチェルが子供時代にシカゴの自宅から眺めていたミシガン湖の記憶を頼りに制作したもの。抽象画だから、ミシガン湖のイメージを具体的に思い浮かべる必要ないけれど、画面中央の深い青は彼女の中で幼少期のミシガン湖の青とつながっているのかもしれない。その記憶の回路がキャンバス上に作品として生成するとき、多分、その絵の前に佇んでいる僕たちも、その青を通じて自分の中の青の記憶とつながっているはずなのだ。こんな風に、アーチストは作品を通じて、僕たちという存在の根幹に語りかけてくる。絵を見ると言うことは、多分、このように作品と対話し、共鳴し、その振動によって自分自身の内部へと沈潜していく行為なんだと思う。

ジョアン・ミッチェル「ブルー・ミシガン」

今回の新収集品の目玉の一つが、瀧口修造作品。かなりの数の作品がコレクションに加わった。1950年代の日本の前衛絵画を代表する人であり、音楽、ダンス、詩、絵画のジャンルを超えたアーチスト集団である実験工房の指導者として当時の海外の前衛芸術を貪欲に日本に紹介した指導者。同時代の、アメリカのアクション・ペインティングやヨーロッパのシュール・リアリズム、アンフォルメルなどと比べても、高いオリジナリティを持っている。なにより、余白への感覚など、しっかりと日本的な美意識を残しているところが共感できる。今回、まとまって見ることができて、もっと観たいと感じました。富山県立美術館に瀧口修造コレクションがあるので、機会があれば行ってみよう。。。

瀧口修造「スプラッシュ」
瀧口修造「無題」

ジョゼフ・コーネルの作品も、何点か新コレクションに入っていた。彼の作品はどれも大好きである。箱の中に、自分の好きなオブジェを入れただけの作品。でも、そこには小宇宙としか言いようがない意味とイメージの世界が広がっていく。それは何故だろう。自分の愛するものだけで構成された世界だからだろうか。でも、一見すると何の関係もないように見える写真、過去の名画、ビンや石や珠や鳥かごやリングなどのオブジェ、星と月、宝石、砂・・・などが一つの箱の中で遠近感やサイズのバランスを完全に無視した状態で並べられるとき、そのイメージの衝突が不思議な夢のような感覚をもたらす。それはいつも刺激的な経験だと思う。

ジョゼフ・コーネル「衛星の観測Ⅰ」

ヴォルスのコレクションもうれしい。彼の作品は、川村記念美術館がまとまったコレクションがあるけれど、本当にたまにしか企画展をしてくれないのでなかなか観る機会がない。海外の美術館に行っても、ヴォルスの作品にはなかなかお目にかかれないし、あっても展示室の片隅や廊下にひっそりと置かれているのが関の山だ。確かに、小さな作品が多いし、描かれているのはほとんどなにが描かれているのか分からない抽象的な線と色彩だけ。お世辞にも美しいとは言えない。でも、その細密な線と色彩の乱舞をじっと見つめていると、何か微細な存在がそこから立ち上ってくるような錯覚に捕らわれる。よく言われるように、彼の作品には有機的な印象があって、微生物や単細胞生物の世界を彷彿とさせるんだよね。物質と生命のあわいの形態と言っても良いかもしれない。それが彼の作品の魅力です。

ヴォルス「無題」

ザオ・ウォーキーも好きな画家。水墨画の伝統、水彩画の色彩感覚、抽象表現主義の筆遣いを一つのアート作品に昇華させた彼の作品群は、いつ見ても楽しい。ザオ・ウォーキーの青は、微妙に階調を変えながら色々な顔を見せてくれる。そして、何かを描いているように見えながらすぐには写実へと焦点を結ばない形態。この作品も、タイトルを観れば「水に沈んだ都市」を描いていると分かるけれど、タイトルがなければすぐに都市だとは分からないだろう。でもその、現実と幻想のあわいの感覚が、ザオ・ウォーキーの作品の魅力なのだ。

ザオ・ウォーキー「水に沈んだ都市」

そして、今回も数点が加わったアボリジニー・アーチストの作品群。アボリジニーの伝統的なサンド・ペインティングやレントゲン画法などをベースにしながら、現代的なアート作品を作り続けている画家たちの作品を体系的に収集している。時には抽象絵画のような作品を制作し、時には神話や伝承に取材した物語色の強い作品を制作する。そのスタイルは、アーチストごとに異なるけれど、アボリジニーの伝統にインスピレーションを得ている点では共通である。だからその作品には深みがある。彼らの作品を観ていると、素朴な作品や抽象的な作品が多いにもかかわらず、大地に根ざした力を感じるのは、たぶん、みな自分の伝統とつながっているからだと思う。そういう意味で、観ていると力をもらえるような気がする。このコレクションもぜひ強化していってほしい。

ジョージ・ウォード・ジュングライ「無題」
ジンジャー・ライリー・マンドゥワラワラ「四人の射手」

ということで、とてもアートな一日を過ごすことができました。

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