ジャン=フランソワ・ステヴナン監督「防寒帽」

ジョルジュは、友人たちとパリから休暇地に向かう途中、車が故障してしまう。車を修理工場に預けてタクシーで向かおうという友人達の誘いを頑として断るジョルジュ。友人たちはあきれて彼をおいて立ち去り、ジョルジュは夜の高速道路のサービス・エリアにひとり取り残される。途方に暮れるジョルジュ。そこに、近くの修理工場で働くセルジュが声をかける。セルジュに誘われるままに、ジョルジュは修理工場に厄介になることになる。

その修理工場には、奇妙なドイツ人やあやしげなチンピラが訪ねてくるかと思うと、修理工場の従業員の家族が団らんする不思議な場所だった。最初は戸惑うジョルジュだが、徐々になじんでいく。修理工場で時間を過ごしているうちに、セルジュの奇妙なプロジェクトのことを知ったジョルジュは、セルジュと共に山中に分け入る旅を始める。しかし、その旅は奇妙なものだった。雪の山中を彷徨ったかと思うと、村の宿に泊まってシェフと仲良くなり、気がついたら他の宿泊客やシェフたちと深夜の宴会に繰り出すことになり。。。人びとは酩酊し、旅の目的は徐々に忘れ去られ、世界は混迷の度合いを深めていく。。。

この映画は、一体、何日間の物語なのだろう。そもそも、旅の目的はどこだったのだろう。ジョルジュとセルジュは、どれぐらいの距離を移動したのだろう。。。。色々なことが曖昧で宙づりにされているにもかかわらず、映画を観ている限りは何の違和感もなく、人びとはまるで旧知の間柄のように語らい、食べ、飲み、歌い、そして喧嘩する。ただそれだけなのに、一つ一つの細部が映画的な魅力に満ちている。

例えば、ジョルジュが部屋で入浴する場面。煙草を吸いながらバスタブに横たわる姿をただ映しているだけなのに、観客はふと西部劇を思い出す。それはまるで、サム・ペキンパーのどこかの一場面のような懐かしさを帯びているのだ。

あるいは、深夜の宴会で、いきなり酔った老人が愛犬を膝の上に抱える場面。犬は、何故か膝の上に乗ると奇妙な遠吠えを始める。その遠吠えにあわせて歌出す老人。それを観て笑い転げる周りの人びと。そこに同席している者の誰が村人で、誰が宿泊客なのか、そもそもその宴会をしている場所はどういった場所なのかも分からないままに、観客はなんだか自分もその宴会に参加して酔っ払っているような奇妙な感覚と共に画面を見続け、やはり犬と老人の不思議な合唱に笑ってしまう。

この作品は、1978年の作品とのこと。監督のステヴナンは、フランスでジャック・ロジェのアシスタントにつき、アメリカのジョン・カサベテス監督を敬愛しているとのことだから、カサベテスの影響は大きいのだろう。確かに、人びとが語らい、飲み、食べる場面には、カサベテスの「アメリカの影」、「ハズバンズ」、「フェイシズ」などのタッチが感じられる。しかし、カサベテスの作品に観られるような登場人物間に潜在する緊張感は感じられず、どちらかというと親密さを感じるような気がする。そういう意味では、僕はむしろこの作品は70年代のロード・ムービー、「イージー・ライダー」や「ラスト・ムービー」に近いという印象を受けた。実際、暗い闇の中に浮かび上がる焚火の美しさは、ラスト・ムービーを彷彿とさせる。

映画は、最後、ジョルジュとセルジュが、互いに別れも告げずに曖昧に別れることで終わりを告げる。この旅は一体何だったのだろうか。よく分からないけれど、ただ二人の男がある時出会い、旅をし、ささやかな時間を共有したという時間の流れだけは確かな手応えとして観客の身体に残っている。そんな不思議な魅力を持った作品だった。

こんな素敵な作品を紹介してくれたアンスティチュ・フランセ東京の「映画批評月間2021」にはただ感謝あるのみ。。。

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