アンドリュー・V・マクラグレン監督「シェナンドー河」

BSシネマで録画したままになっていたアンドリュー・V・マクラグレン監督「シェナンドー河」を観る。1965年の作品。出演は、ジェームズ・スチュワート、ダグ・マクルーア、パトリック・ウェイン、ローズマリー・フォーサイス、キャサリン・ロス他。キャサリン・ロスは、この作品が25歳のデビュー作で、初々しい若妻を演じている。

物語の舞台は、南北戦争下のアメリカ南部・バージニア州。チャーリー・アンダーソン(=ジェームズ・スチュワート)は、妻に先立たれた後、7人の子供を男手一つで育てながら、シェナンドー河の畔で広大な農場を経営している。南北戦争の戦闘は農場のすぐ側まで迫っているが、チャーリーは戦争に否定的で、南軍にも北軍にも加担しようとしない。息子たちを徴発しようとする南軍にも協力せず、馬を購入したいと申し出る北軍も追い返してしまう。彼にとっては、毎日、亡き妻の墓で彼女を偲び、残された子供たちと共に農場を発展させることがすべてである。

そんなある日、末っ子のボーイが南軍の少年兵と間違えられ、北軍に捕虜として連れ去られてしまう。チャーリーは、ボーイを救出すべく長男のジェームズ(=パトリック・ウェイン)と妻のアン(=キャサリン・ロス)を農場に残し、息子たちを連れてボーイ捜索の旅に出る。さらに、新婚で夫が出征してしまったジェニー(=ローズマリー・フォーサイス)も一行に加わる。果たして、彼らはボーイを無事に見つけ出し、農場に帰ることができるのだろうか。。。。

マクラグレン監督のジョン・フォードに対する敬意が随所に感じられる映画である。例えば、何度も登場する教会の場面。祭壇から会衆を見下ろすおなじみのアングル。アンダーソン一家はいつも日曜の礼拝に遅刻して来る。これを苦々しく見つめる牧師。そして、牧師が説教を始めようとすると決まってアンダーソン一家の誰かが邪魔をする。そののどかな雰囲気とユーモアの感覚は、ジョン・フォードのリズムだと思う。

あるいは、乱闘場面。マクラグレン監督は、前作の「マクリントック」でも町の住人を巻き込んだ派手な乱闘場面を楽しげに撮っていたが、それはこの作品でも健在である。馬を購入したいとやってきた北軍の調達部隊の傲慢な態度に怒ったチャーリーが北軍のボスを殴りつけ、北軍とアンダーソン一家を巻き込んだ大乱闘が始まる。そこかしこで殴り合いが続き、末っ子のボーイが何度も無意味に水槽に投げ込まれる。その度に立ち上がっては乱闘に加わろうとするボーイ。最後にこの乱闘を収めるのがライフルを構えたジェニーの決め台詞だという点も含めて、やはりフォード監督のテイストを感じる。やはり西部劇はこうでなくては楽しくない。

マクラグレン監督自身、フォード監督の助監督を務め、監督デビュー後もジョン・ウェインやジェームズ・スチュワートを主演に西部劇を撮影してジョン・フォードの後継者と期待されていたから、多分意識していたのだろう。残念ながら、マクラグレン監督が本格的に活動を開始した1960年代は、ジョン・フォード監督が撮り続けた古典的な西部劇が、色々な点でもう不可能な時代になっていた。これは、マクラグレン監督にとっても西部劇にとっても不幸なことだったと思う。この映画の隅々に配されている魅力的な細部ー例えばそれは、同じ方向を仰ぎ見る家族のメンバーを一つ一つつなげていくことで家族の紹介と戦闘の接近を伝える冒頭の場面であり、あるいは南北軍が対峙している平原に突然乱入してきた牧牛の捕獲を巡る騒動であり、南軍捕虜たちの列車を家族メンバーだけで停車させて捕虜を解放させる鮮やかな手並みであるーを観ているとマクラグレン監督と共に失われたものの大切さを改めて実感する。

とは言え、この映画には古き良き時代の価値観がまだ息づいている。それは、国家や大義以上に家族を大切にしようという価値であり、たとえどのような困難に直面しようともこれに立ち向かうことで自分の存在意義を証しようという生き方である。ほとんど片時も葉巻を手放さないジェームズ・スチュワートが、頑固でプライドを持って家族たちを守っていこうという家父長を説得力のある形で演じている。

そして反戦のメッセージ。ベトナム戦争に反対する世論が高まっていた時代に制作されたこの作品には、戦争の無意味さと残虐さに対する怒りが感じられる。将軍やヒーローの視点ではなく、自分たちの生活空間に突然兵士たちが乱入してくることによる恐怖と混乱。徴発という名の収奪。時にそれは、敗残兵や逃亡兵の略奪や殺戮という形を取ることもあれば、経験のない少年兵士による誤認射殺という形を取ることもある。こうしたエピソードを重ねていくことで反戦を訴えている点でも、この映画は観るべき価値がある。

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