アモス・ギュタイ監督「ハイファの夜」
東京フィルメックスの特集上映でアモス・ギタイ監督の「ハイファの夜」を観る。アモス・ギタイ監督はイスラエルを代表する監督の1人で、パレスチナ問題も含めてイスラエル社会が抱える問題を積極的に取り上げている社会派の監督。残念ながら日本で一般公開された作品は「キプールの記憶」のみなので、なかなか見る機会がない。そういう意味で、東京フィルメックスが頻繁に彼の作品を取り上げてくれるのはありがたい。
「ハイファの夜」は、監督が住むイスラエルの地方都市ハイファを舞台にした作品である。映画は、写真家のギルが車に乗って夜の街を疾走する場面で幕を開ける。主人公は、ギャラリーを併設したナイトクラブに向かっていたのだが、彼が車を止めて外に出たところをいきなり数名の男達に襲われる。男達は彼を殴り、金目のものを奪い、車に乗って逃走する。雨で水たまりができている道路に倒れるギル。店の者が飛び出してきて彼を運び入れ、介抱する。しかし、この男たちがなぜギルを襲ったのか、彼らは何者なのかは映画の最後まで明らかになることことはない。不思議なエピソードだが、この理不尽な暴力がこの作品に通奏低音のように響き続けることになるだろう。それは例えば成功したビジネスマンで政界とも繋がりの深いカマルが自分の車で家に戻ろうとしたところで金を出せと脅す女性活動家のエピソードとも共鳴しながら、一見、平和そうに見えるイスラエルの日常生活の奥にマグマのように横たわる暴力の存在を示唆しているようだ。その暴力は、パレスチナに対して向けられているだけでなく、イスラエル内部にもミクロなレベルで行使されている暴力なのかもしれない。
映画は、このナイトクラブの一夜を描く。中心となるのは、写真家のギル、ギャラリーのオーナーでギルの写真展のオープニングを迎えたライラ。ライラは遥かに年が離れたカマルと結婚しており、ギャラリーの運営もカマルの支援を受けている。しかし、ライラはギルとも深い関係にある。おそらくカマルは二人の関係に気付いていると思われるが、あえてそれは口に出さず、政治的な活動を行っているギルにあまり政治にコミットするなと諭す。映画は基本的にこの3人を軸に展開していく。
しかし、これ以外にも様々な人々が登場する。だれかれ構わずに捕まえてはイスラエル社会が抱える問題を訴える女活動家。SNSで出会った男と会うために店を訪れた中年の女、深く愛し合っていながらもカムアウトできずにいるゲイのカップル、夫の無関心に愛想を尽かして束の間のアバンチュールを求める女、嫉妬深い夫の目をかいくぐってギルを誘惑しようとするウェイトレス・・・。
この映画は、こんなイスラエルの人々を断片的に描きながら、イスラエル社会の現在を描こうとする。それは、かつてハリウッドの一ジャンルだグランドホテル形式の映画のようにも見える。しかしそこで描かれるイスラエル社会の現実は厳しく、人々は幸福そうには見えない。ユダヤ教の戒律は厳しく、女性は家庭内にとどまれという無言の圧力があり、さらに同性愛者に対する視線には悪意が感じられる。ギタイ監督は、これを批判するのではなく、ただ映画の中に提示する。それによってこの映画は単なる社会批判の映画ではなく、人間性の本質を捕らえた深みを帯びることになる。こういうとてもユニークな作品は、映画祭の特集上映だけでなく、一般公開されると良いのだけれど。。。