フレッド・ジンネマン監督「真昼の決闘」
BSシネマ、フレッド・ジンネマン監督「真昼の決闘」を観る。主演は、ゲーリー・クーパー、グレース・ケリー。1952年、マッカーシーによる赤狩りが吹き荒れた時代に作られた映画で、時代背景が作品に色濃く反映されている。公開当時、映画人からは高く評価されたが、時代の雰囲気もあり、アカデミー賞は主演男優賞、歌曲賞、編集賞、ドラマ・コメディ音楽賞のみで、作品賞と監督賞は逃した。ただし、ニューヨーク映画批評家協会賞は、作品賞と監督賞を受賞している。
物語の舞台は、南部の小さな田舎町ハドリーヴィル。連邦保安官のウィル・ケイン(=ゲイリー・クーパー)が結婚式を挙げ、これを機に退職して新妻のエミイ(=グレイス・ケリー)と共に町を出ようとしたまさにその日に、悪い知らせが届く。5年前に彼が捕縛した悪党フランク・ミラーが釈放され、正午の列車でハドリーヴィルに戻ってくると言うのだ。既に、ミラーの仲間3名は町に到着して、駅でミラーを待ち受けている。彼らは、ミラーと合流して、ケインに復讐するつもりだった。
友人達や新妻が「一刻も早く町を立ち去った方が良い」と忠告するのを拒み、ケインは町にとどまってミラー達との対決を選択する。彼は保安官助手を募るが、誰もミラー達の力を恐れて手を挙げようとしない。列車の到着が刻一刻と迫ってくる中、ケインは、1人孤独に4人を相手に決闘することを余儀なくされる。。。
映画史に残る名作として、繰り返し言及される作品である。確かに、その内容はユニークである。上映時間85分は、ほぼケインが結婚式を挙げ、知らせを受けてから決闘に至るまでの時間と一致している。リアルタイム劇となっている点がまず面白い。
それから、町の人びとの無関心。悪党達を一致団結して追い出すことが町の利益になるとわかっているにもかかわらず、誰もケインを助けようとしない。ある者は、身の危険を避けるため、ある者は家族のため、あるいはもともとケインのことを快く思っておらず、ミラー達が戻って町がまた無法状態に戻ることを願っている者たちもいる。正義が常に勝つわけではない。人びとは、ケインに「うまく立ち回れよ。ここで逃げるのが賢明な選択だよ。」と囁く。その人びとの無関心や無気力は、おそらく時代の空気を反映しており、映画はその空気を批判的に描いている。
もちろん、印象深いショットは多々ある。映画中に句読点を打つように配される時計の振り子。これが列車の到着までの残り時間を冷徹に伝えていく。あるいは、これも繰り返し映し出される判事室の不在の椅子。かつてミラーはそこに座って判決を受け、「俺は絶対に釈放されておまえ達を殺しに戻ってくる」と嘯いた。その不在の椅子が何度も映し出されることで、刻一刻とせまるミラーの到着の恐怖感が増幅される。そして、人気のない大通りを助手を求めて歩き回る孤独なケインの姿。最後に彼が諦めて1人保安官室を出てミラー達を迎え撃つ場面では、カメラは斜め情報からケインを捉え、そのまま上昇してケインと人気のない大通りを俯瞰する。そのショットにケインの孤立感が際立つ。
こんな感じで、「真昼の決闘」は映画の教科書の格好の題材となっている。脚本もよく出来ているし、白黒の映像のざらっとした感じは、さすがドキュメンタリー映画出身のジンネマン監督の手腕を感じさせる。後年の「ジャッカルの日」にも通じるタッチがある。
でも、西部劇として観た時、この映画は正直面白くない。85分あれば西部劇というジャンルでは様々なことを語ることが出来るはずだけど、この映画では、刻一刻と迫るミラーの到着までのサスペンスの高まりとケインの孤立が延々と映し出されているだけだ。もちろん、いくつかのサブエピソードはあるけれど、全体として見ると単調な印象を与える。
それから、最後の決闘シーン。4対1の劣勢をいかに挽回するかは極めて西部劇的主題であり、これをどのように演出するかが監督の腕の見せ所のはずなのに、ただ撃ち合っているだけだ。馬を暴走させる場面があるが、スペクタクル感にはほど遠い。演出意図として、あえて西部劇的なクライマックスを作らず、西部劇の体裁を借りた社会派劇を作りたかったのかもしれないけれど、映画としては面白みに欠けるというのが率直な感想。ジョン・ウェインがこの映画の最後でケインが保安官のバッジを投げ捨てる場面を観て激怒したという有名なエピソードがあるけれど、多分、彼はそれだけでなく、この映画が西部劇というジャンルを否定していることに怒ったのだと思う。その気持ちは僕もよく分かる。社会的な理念を描きたいのであれば、直球勝負で社会派劇を撮れば良いではないか。
付け加えると、僕は多分、ゲーリー・クーパーが背負っているアメリカ的正義が肌に合わないのだと思う。彼は、あえて正義を引き受ける役が多いけれど、そこには何かきれい事に隠れて現実を観ようとしない姿勢が感じられるのだ。名作だけど、好きになれない作品でした。