ドン・シーゲル監督「ラスト・シューティスト」
ドン・シーゲル監督「ラスト・シューティスト」を見る。1976年の作品。ジョン・ウェイン、ジェームズ・スチュアート、ローレン・バコール、ロン・ハワードが出演している。ベテラン監督が、老優たちと共に失われていく時代を振り返るという、70年代の一典型の映画。とはいえ、そこはドン・シーゲル監督。単なるノスタルジア映画に終わらせないところは、最後の決闘場面のアクションの切れ味だけを観ても明らか。翌年には、チャールズ・ブロンソンと組んで傑作「テレフォン」を撮り、さらにその2年後には再びクリント・イーストウッドと組んで傑作「アルカトラズからの脱出」を撮っているのだから、60代に入っていたとはいえ、まだまだ健在である。
映画は、ジョン・ウェイン主演映画の名場面の回顧から始まる。かつて西部にガンマンの名を轟かせたJ・B・ブックス(=ジョン・ウェイン)が、ネバダ州カーソンシティに戻ってくる。旧友で医師のホステトラー医師(=ジェームズ・スチュアート)の診察を受けるためである。ホステトラーは、ブックスに末期癌を宣告。余命幾ばくもないことを悟ったブックスは、未亡人のロジャース夫人(=ローレン・バコール)が経営する下宿屋に終の住処を求める。しかし、ブックスがカーソンシティに滞在していることがやがて人々の間に知れ渡ってしまい、かつての仇敵、ブックスの伝記を出版して一山当てようというジャーナリスト、そしてブックスを殺して有名になろうというならず者たちがカーソンシティに集まってくる。。。
物語は、ブックスがカーソンシティに到着してから、最後の決闘に至るまでの7日間を淡々と描いていく。反発しながらも惹かれあっていくロジャース夫人との交流が美しく爽やかである。死期を悟った男が人生の最後に願うささやかな幸福と断念。その思いをためらいながらも誠実に受け止めようとする女。変な話だけど、超高齢社会に突入して老人の恋と性が真剣に語られるようになった現代日本の目から見ると、この話がとても現実的に感じられる。ローレン・バコールのふとした仕草や立ち姿から立ち上ってくる官能性も見事。
この映画でもまた、ジョン・ウェインは、自分の生き方の筋を貫き、次世代に自分の生き様と哲学を継承し、降りかかってくるトラブルや悪意や欲得ずくの打算をうんざりした顔をしながら振り払い、全てに片をつけて決闘へと向かう。一つの映画の中に様々な人生模様が描かれて豊かな世界が広がっていくのを見るのは心地よい。テーマとストーリーに従属してしまって余裕を失った現代の商業映画では到底期待できない、静かでゆったりとした時間がここにはある。そして、もちろん激しいアクションも健在である。閉ざされた空間の中で展開されるガン・ファイトは、鏡やボトルやグラスやテーブルなどの小道具が効いていてドン・シーゲル監督の映画的才気をあらためて実感させられる。
いつものドン・シーゲル監督作品と同じように、アクションがあり、恋愛があり、人情があり、そして人生の微妙な機微を感じさせる贅沢な時間を味わうことができる作品である。