森崎東監督「時代屋の女房」

森崎東監督が亡くなった。たぶん、僕よりひとつ上の世代の映画好きにとって、森崎監督とは、何よりも「喜劇 女は度胸」シリーズの喜劇監督だろう。さらに、「男はつらいよ」シリーズの脚本を担当し、自らもシリーズ3作目の「男はつらいよ フーテンの寅」でメガホンを取った監督でもある。僕らには、その頃の作品を見る機会はなかなかなかったけれど、きっとスピード感あふれるコメディだったんだろうなと思う。

残念ながら、こうした初期の作品をリアルタイムで見る機会を逃した僕らの世代にとって、森崎監督とは80年代、「時代屋の女房」から、「ロケーション」と松竹で喜劇を撮りながら、同時に「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」のようにインディペンデントで過激な映画を発表する監督だった。特に、「生きている・・」は衝撃だった。ひとつの映画の中で、いじめ、ジャパユキさん、沖縄返還、原発ジプシー・・・と様々な問題を取り上げながら、喜劇と活劇と恋愛劇を織り込んでしまえる才能に僕らは熱狂した。

個人的には、山形ドキュメンタリー映画祭での上映後の監督との懇談会に参加し、監督からこの映画の製作の話を伺えたことが印象に残っている。この映画、キノシタ映画の製作で、配給は日本アート・シアター・ギルドである。松竹でガンガン商業映画を撮っていた森崎監督がなぜこんな形で映画を撮ったかというと、もちろんそれは原発の暗部を描いた作品だったからである。今でも変わらないが、原発問題を扱った映画を撮ることは、当時、非常に危険なことだった。そんなことをやったら、政財界から有形無形の嫌がらせを受けることは目に見えていたのでメジャーな映画会社は絶対に手を出さないジャンル。こんなリスクのある企画を飄々とキノシタ映画に持ち込んで製作資金を調達し(監督曰く、あまり原発云々はきちんと説明しなかったとのこと)、ATGで配給してしまったのだからすごい。やはり森崎監督は腹の据わった人だと感じ入った。(余談だけど、その後、忌野清志郎さんがCoversで、核と原子力の問題を取り上げたが、東芝EMIが親会社の東芝の圧力を受けて販売を中止している。ラジオでも放送されないという徹底ぶりだった。)

森崎監督は、その後も、「ニワトリはハダシだ」で検察の腐敗を取り上げるなど、批判精神を失わずに映画を撮り続けた。それは、例えば、浅田次郎の「ラブ・レター」の映画化でも同じである。中国人売春婦との偽装結婚を扱ったこの物語は、社会問題を扱っているけれど、最終的にはエリートから転がり落ちた中年男の個人的な感傷で結末を迎える。中国人女性の人身売買は、あくまでもその道具立てでしかない。しかし、森崎監督は、それに異議を唱える。そして、主人公に、世の中そんな甘いものでもないし亡くなった中国人女性の気持ちなんかおまえに理解できるはずがないと厳しい言葉をなげつける女将を映画に登場させることで、中年男の個人的感傷をあっさりと無効化させる。これによって、中年男の感傷で何もかも曖昧にやり過ごそうとする日本的風土そのものが浮き彫りとなる。森崎監督のしたたかな批判精神を実感できる名作だった。

森崎監督については、まだまだ語りたいことがある。「ロケーション」で、下着姿で突然疾走する美保純とそれを追う撮影クルーの躍動感。あるいは、「釣りバカ日誌スペシャル」で、シリーズもののネタを徹底的に相対化しながら最後のシュールとしか言いようのない宴会になだれ込ませる演出のうまさ、「ペコロスの母に会いに行く」の夢と現実の曖昧化・・・。そこには映画の楽しみのすべてがあり、映画という表現形態でしか表し得ない人生の真実があった。

本当であれば、「生きているうちが花なのよ・・・」を観ながらじっくりと追悼を捧げたいところだけど、そんな昔の作品が令和時代のレンタルビデオ屋にあるはずもないので、とりあえずiTunesで「時代屋の女房」を見直す。夏目雅子が亡くなる2年前に出演した作品。彼女はため息が出るほど美しい。ふらっと古道具屋に住み着いて、またふらっとどこかに行ってしまう自由奔放さも、彼女にぴったりである。登場人物も、皆、魅力的。下町情緒を感じさせながら、そこに様々な人間模様を交錯させる映画を撮らせたら、森崎監督は絶品である。うまい。様々な男と女の関係が描かれ、方言が飛び交い、ふとしたアイテムから歴史が召喚される。なにしろ、2.26事件までが言及されるのだ。もう何度も観ているはずの映画なのに、やはり新しい発見がある。

それにしても、森崎監督の作品に登場する女たちは、なぜいつも定住を拒否し、放浪しはじめるのだろう。決して無責任だとか薄情だというわけではないけれど、何かに突き動かされるように彼女はふらっと旅だち、移動を続けていく。男たちは、ただ彼女の後を追うか、あるいはただ彼女らが自分のことを思い出して戻ってくるのを待つだけの受け身の姿勢を強いられる。

そしてまた、この映画でも、いつものように人々は共に食事をし、酒を飲み、芸能を演じる。それはまるで、森崎監督が造型したフーテンの寅さんへのオマージュのようでもある。森崎監督自身は、「フーテンの寅」を主人公にした映画を一作しか監督しなかったけれど、彼の中では、人々の心の奥底に訴えかける芸能を演じながら、旅に明け暮れ、義理と人情を重んじ、恋に生きる寅さんの生きかたが理想だったのかもしれない。

ただし、森作監督の寅さんは、決して「おめえ、もしかしたらインテリだな」なんて台詞は吐かないと思う。インテリジェンスとは、一部の活動家や知識人などが振りかざす浅薄な思想などではなく、庶民が深い生活経験の中から育む英知にねざしたものであることを、森崎監督は深く理解し、それを映画製作を通じて実践していたような気がする。

どこかでぜひ森崎監督追悼上映会を企画してほしいです。

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