ジョージ・キューカー監督「ガス燈」

ジョージ・キューカー監督「ガス燈」を見る。1944年の作品。出演はシャルル・ポワイエ、イングリッド・バーグマン、ジョゼフ・コットン。バーグマンは、この作品でアカデミー賞の主演女優賞を受賞した。これに加えて、この映画は美術監督賞も受賞している。原作はパトリック・ハミルトン。この作品は、もともと1939年にロンドンで舞台化され、1940年に英国で映画化、さらに1941年にはブロードウェイで「Angel Street」と改題されて上演されている。確かに、脚本が素晴らしいので、こういう形で舞台化されたり映画化されるのは納得できる。

僕は、この作品を見る機会を何度も逃している。80年代の名画座で、イングリッド・バーグマン特集上映と言えば、「汚名」「白い恐怖」「凱旋門」「カサブランカ」「誰がために鐘は鳴る」などのラインナップにこの「ガス燈」が加わっていた。しかし、どうも見る気がしなくて結局今まで見る機会がなかった。なぜだろう?そもそも、イングリッド・バーグマンという女優にそれほど魅力を感じなかったというのもある。バーグマンは確かに美人だけど、演技は固くどうも魅力に乏しい。真面目すぎる印象がある。これに、「社会派の巨匠」という枕詞が常についてまわるジョージ・キューカー監督との組み合わせ。見る前から何となく疲れてしまいそうで、今まで敬遠してきた。BSシネマで放映されたので一応録画はしたけど、今までそのまま放置してしまっていた。それを、何となく他に見るものがないなぁという感じで見ることにした次第。ところが、いきなり冒頭からそのサスペンスあふれる展開に引き込まれてしまった。やはり古典作品は、きちんとフォローしておくべきですね。こんなすごい作品を今まで見なかったなんて、猛反省です。やはりBSシネマさまさま。

映画は、ロンドンのとある家の殺人事件から始まる。殺されたのは、世界的に著名なオペラ歌手のアリス。アリスの姪ポーラ(=イングリッド・バーグマン)は、母を亡くした後、アリスに育てられてきたが、彼女の死で居場所を失い、イタリアでオペラ歌手としてのトレーニングを続けることになる。数年後、ポーラはグレゴリー(=シャルル・ポワイエ)と出会って恋に落ち、わずか2週間のロマンスで結婚する。グレゴリーに請われるまま、ポーラはロンドンのアリスの家に戻り、そこで新婚生活を始める。二人だけの幸せな日々。しかしそれも束の間、グレゴリーは、ポーラがいろいろな物忘れをすることを責め始め、徐々にポーラはグレゴリーに心理的に支配されていく。

せっかくロンドンに戻ったのに、昔の知り合いとも付き合わずグレゴリーとわずかな召使いと共に家にこもりきりになるポーラ。家には、アリスの思い出が詰まっていてポーラを苦しめる。そんなポーラをよそに、グレゴリーは、夜ごと、仕事と称して外出する。やがてポーラは、誰もいないはずの家のガス燈の灯りが急に弱くなったり、誰かの足音が聞こえたりする現象に悩まされはじめる。徐々に精神に破綻を来しはじめるポーラ。彼らが外出した際に偶然知り合いになったスコットランド・ヤードの警部ブライアン(=ジョゼフ・コットン)は、ポーラの不安げな様子に不審をいだき、お蔵入りになっていたアリスの殺人事件を改めて調べ直しはじめる。そして彼は、あることに気づく。。。

この映画は、ミステリーとしても一級品だが、それ以上に強烈な印象を残すのがグレゴリーのマインド・コントロール。ポーラのちょっとした記憶違いや物忘れにつけ込んで、ポーラを心理的に追い詰め、徐々にマインド・コントロールしていく様子が圧倒的な迫力である。イングリッド・バーグマンの、生真面目で神経質な雰囲気が、このマインド・コントロールにリアリティを与えている。彼女が、この映画でアカデミー賞主演女優賞を受賞したのもうなずける名演だと思う。しかし、それ以上に、このマインド・コントロールの手法は、現在の観客の目から見ても衝撃的。人間は、こんな風にちょっとした不安感につけ込まれてどんどん追い込まれていき、気がついたら身動きが出来ない状態になるんだということが、ジョージ・キューカー監督の緻密な演出で描き出されていく。この映画にちなんで、「ガスライティング」が心理的虐待を表す表現に使われるようになったそうだけど、確かにそれだけのインパクトがある物語だと思う。

もちろん、ジョージ・キューカー監督がモノクロームの画面で描き出す室内や夜のロンドンの風景も圧倒的な美しさ。特に、霧が立ちこめる夜の通りを足早に歩き去るグレゴリーの姿は印象的である。霧の中でグレゴリーを見失って立ち尽くすブライアンと巡査が、街灯の下であたりを注意深く見回す場面も地味だが見応えがある。深く立ちこめた霧で視界がさえぎられる中、だれもいない十字路で辺りを見回す二人。どの通りも、深い霧の中に街灯の光がぼんやりと浮かび上がるだけで誰も見当たらない。その空虚な空間が心理的なサスペンスを高めていく。

さらに、このサスペンスを高めていくのが、脇を固める俳優達。グレゴリーが雇ったメイドは、見るからに蓮っ葉な感じの尻軽女で、グレゴリーに露骨に色目を使い、ポーラを見下した態度を取る。メイドのそんな態度がさらにポーラの精神を破綻へと追い詰めていく。そして、詮索好きの隣人の老嬢。彼女は、アリスの殺人事件をしっかりと記憶しており、数年間の空白期間を経て再び戻ってきたポーラとグレゴリーに深い関心を示す。老嬢がしつこく詮索したことによって、ブライアンはポーラの危機に気づくとは言え、その執拗さはストーカーまがいで観客の神経を逆なでする。こういう細かい演出の積み重ねによって、「ガス燈」という作品は、映画史上、屈指のサイコ・スリラーに仕上がっている。

いやはや、これだから映画史は奥が深い。。。。

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