マリオ・バーヴァ監督「呪いの館」
再びキネカ大森へ。今回もマリオ・バーヴァの作品。これまで見てきた2作に比べて、「呪いの館」はより正統な恐怖映画に仕上がっている。
物語は、イタリアの僻地の農村に呼び出された監察医を巡って展開する。監察医を呼んだのは、その村の警察署長。村では、原因不明の不審死が相次いでおり、監察医は死者の検死を行うために招かれたのだ。そもそも、この村は「呪われた村」として恐れられ、外部の人間は村に立ち入ろうとしない。町から馬車で来た監察医も、村の手前で降ろされて徒歩でやってきた。
監察医が見た死体は、自ら鉄柵の上に飛び降りて串刺しになって死んだ女のものだった。普通では考えられない死だが、死体に特に不審な点は見られなかった。しかし、村の空気は異様だった。村人達は怯えきっていて警察署長の尋問には答えず、村長も警察署長の捜査に協力的ではない。さらに村人は、死者の死体を一刻も早く埋葬しようとし、監察医が検死のために死体を墓から戻そうとするのに強く反発する。しかも村人は、検死後、宿に戻ろうとする監察医を殺そうとさえするのだ。その襲撃の現場に突然現れた謎の女性。どうやら魔術を操る女祈祷士は、村人を立ち去らせると、監察医に対し何も説明せずに「一刻も早くこの村を立ち去れ」という。どうやら、すべての謎は、村の外れにそびえる古城にあるようだと知って深夜にそちらに向かう警察署長。それを追って、監察医と助手の娘も古城に向かう。村とその古城には、おそろしい過去が隠されていた。。。。
閉ざされた村で次々と起こる奇怪な死。夜の闇の中、白いドレスをまとった謎の少女が無気味な笑い声を上げて出没する。古城に一人住む老女、様々な呪術を駆使して呪いを解こうとする女祈祷士。謎を隠そうとする村長・・・・。ゴシック・ホラーの材料がすべて用意された舞台で展開される一夜の身も凍る物語は見応え十分で、ホラー映画第一人者のマリオ・バーヴァ監督の魅力に触れることが出来る作品である。
語りたい細部はいくらでもある。迷路のように入り組んだ古城の廊下。その中をさまよう監察医と助手。助手となった若い医学生は実はこの村の出身者で、その出生の秘密の影には古城との因縁があったという展開も面白い。ヒッチコックのめまいを想起させるらせん階段。不審者を追跡して捕まえたと思ったら実は自分自身だったという不条理な恐怖。闇の中、窓から室内をのぞきこむ人影。何よりも、鉄柵や蝋燭立てなどに串刺しにされていく死者たちの姿がグロテスクである。イタリア恐怖映画のエッセンスがすべてここにある。
個人的には、黒沢清監督のテレビ作品「降霊」に登場する少女の霊のモデルがこの作品だったことを知ったのも収穫だった。「降霊」を見た人であれば、鮮烈に記憶していると思うけれど、少女の霊が徐々に近づいてきて泥だらけの手でべたりと服をつかみ、手形だけを残して消滅するあの凍りつくように怖い場面の元ネタは、この作品にあった。やはり、黒沢監督はよく勉強していると思う。黒沢清監督と篠崎誠監督の対談集「黒沢清の恐怖の映画史」では、「呪いの館」の魅力を巡って長い対話が交わされているので、ご関心のある方はぜひ読んでみてください。面白いです。
ちなみに、この作品は、黒沢清監督が「映画はおそろしい」の中で、ホラー映画ベスト50の34位にランクインさせています。このコメントも面白いので引用しておきます。やはりホラー映画は、映画の基本ですね。
34位「呪いの館」(66年) マリオ・バーヴァ
映画に於いて怪奇と幻想は共存できない。無理にでも両方を選びとろうとすると、たちまち質の悪い冗談になる。そのことにあまりに無自覚だったのはコッポラの「ドラキュラ」だが、それに較べてバーヴァの本作はまさに怪奇と幻想のぎりぎりの境界線をねらった極めて野心的な作品である。亡霊が幼い少女であるというのも画期的で、後に「世にも怪奇な物語」のフェリーニ篇、「シャイニング」等へと継承されてゆく。
黒沢清著「映画はおそろしい」より