ダグラス・サーク監督「愛する時と死する時」

BSで見たダグラス・サーク監督の「アパッチの怒り」で改めて彼の作品の魅力を再認識し、他の作品も見たいなと思っていたら、なんとツタヤが「愛する時と死する」をレンタルしているではないですか。ということで早速見ることにしました。

これはダグラス・サーク監督の1958年の作品。当時はまだ無名だったジョン・ギャビンとリゼロッテ・プルファーが若い恋人を演じています。原作は、名作「西部戦線異状なし」の著者エーリヒ・マリア・レマルクの小説。「西部戦線異状なし」が第一次世界大戦の従軍兵士の悲惨な状況を描いた作品であるのに対し、この作品は第二次世界大戦の対ロシア東部戦線を描いた作品です。レマルクは、これも映画化された「凱旋門」の原作者でもあり、その反戦メッセージは一貫しています。1938年にナチスが台頭したドイツを逃れてアメリカに亡命した点など、ダグラス・サーク監督の境遇と通じるところがあります。

映画は、第二次世界大戦の対ロシア戦の前線から始まります。ナチス・ドイツの敗色が色濃くなり、退却を続けるドイツ軍。兵士のエルンスト・グレン(=ジョン・ギャビン)は、2週間の休暇を得て故郷に戻ります。しかし、故郷は連合軍の爆撃を受け、両親は行方不明となっていました。両親の行方を求めて父親のかかりつけ医だったクルーゼを訪ねるグレン。しかし、クルーゼは反ナチ的な言動をしたために強制収容所に送られており、娘のエリザベート(=リゼロッテ・プルファー)がただひとり自宅で父の帰りを待っていました。落胆したエルンストが帰ろうとしたその時、空襲警報が発令され、二人は共に防空壕に避難します。これがきっかけで二人は親しくなり、二人の仲は急速に進展します。わずか2週間の休暇にもかかわらず、ついに二人は結婚するに至ります。しかし、グレンが戦線に戻らなければいけない日は、刻一刻と近づいてきました。そして。。。

こうやって物語を紹介すると、とても通俗的なメロドラマのように見えるかもしれません。しかし、この映画の手応えは、他のダグラス・サーク監督作品同様、ずしりと重いものがあります。実際、監督は、132分という結構長い作品の中に様々なテーマを盛りこみます。前線で捉えた民間人を何の証拠もなくゲリラとみなして射殺する軍隊の非情さ。敗色が明らかであるにもかかわらず情報統制によってそれをひた隠しにしようとするナチスの将校。度重なる爆撃で家を追われ日々の食糧にも事欠く人々いる一方で、高級な酒と料理を享受し、毎夜娼婦を呼び込んではパーティーに興じるナチスの高官。そこかしこにナチス党員の目が光り、ちょっとでも敗戦の可能性について語ろうとすればすぐに密告されて強制収容所に送られる閉塞した空気・・・。

物語は、確実に二人の恋の進展とそれを応援する気の良い人たちを描きながら、同時にしっかりとナチス支配下にあるドイツ社会の厳しい現実を織り込みます。そして、物語の背景を支える圧倒的な廃墟の光景。度重なる爆撃により建物のほとんどは原形をとどめないまで破壊され、家を追われた人々はわずかな雨宿りを求めて半分壊れかけた教会に避難しています。こうした廃墟の映像は、アメリカ軍が当時のドイツ国内で訓練場所として確保していた地域で撮影されたとのこと。セットではない、現実の廃墟の迫力が、この物語に強烈なリアリティを付与します。

グレンとエリザベートは、こうした状況の中で、時に反発し合いながらも急速に接近して愛を育み、わずか2週間足らずで結婚に踏み切ります。そんな荒唐無稽のメロドラマに説得力を与えるのが、いつでも爆撃で命を落とす可能性があり、ナチスに密告されて強制収容所に送られる可能性もある戦時下の生活です。戦時下の生活のなんとも言えない重苦しさと、それゆえに一瞬の生の輝きを慈しみたいという若い二人の愛の高揚が対比的に描かれていきます。ただただ素晴らしいの一言に尽きる演出です。

それだけではありません。作品中、何度も登場人物が窓越しに登場します。監督は、まるで憑かれたように俳優を窓の向こうに立たせて、その姿を映し出します。窓にはガラスがはめ込まれている場合もあれば開け放たれている場合もあります。時には、鉄格子が入っていることもあれば、ガラスが割れてしまいただぽっかりと空いた枠だけが残されている場合もあります。これは何でしょう。単に監督の美意識がそうさせたのかもしれません。しかし、窓越しに常に捉えられる俳優、特にエリザベートの姿を何度も目にする時、観客は、親密さにどっぷりと浸りながらもどこか越えがたい一線を彼女に感じてしまいます。それは、エルンストの主観なのでしょうか。それとも、もっと普遍的な何かなのでしょうか。ぜひ皆さんも映画で直接確認してもらえればと思います。

印象的な場面があります。エルンストの恩師でナチスから目をつけられてひっそりと暮らすポールマン教授(原作者のレマルクが演じています)。現状に絶望しているエルンストに対し教授は次のように語りかけます。「私は希望を失ってはいない。それは神のおかげである。このような状況だからこそ、私は神を信じる。信仰こそが唯一の希望なのだ。・・・」

この言葉に呼応するのが、教授にかくまわれているユダヤ人のジョセフの言葉。エルンストは、ジョセフに「ドイツ人が憎くないのか」と訊ねます。これに対し、ジョセフは、「自分が今生きているのは、ドイツ人のポールマン教授のおかげだ。それ以外にも、これまで何度もドイツ人の友人に救われてこれまで生き延びてこれた。彼らのことを考えるとドイツ人が憎いなんて言うことは出来ない。おまえも、いま生きていることをしっかりとかみしめるんだ。・・・」

自身もナチスの台頭の中でドイツからアメリカに亡命し、アメリカで映画製作に携わってきたダグラス・サーク監督の思いがこもった言葉だと言えるでしょう。その言葉は、ナチスから「解放」された戦後ドイツの人々に対する監督のメッセージでもあったのかもしれません。この作品は、アメリカ映画であり、ドイツを舞台にしながらも登場人物がみな英語を話す(ロシア人はロシア語です。念のため。)作品でありながら、ベルリン映画祭の金熊賞を受賞しました。お勧めのクラシック作品です。

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