ペドロ・コスタ監督「ヴィタリナ」

リスボンのスラムでひとりの男が死ぬ。暗闇の中、葬列の一行が黙々と歩んでいく。セリフは全くなく、スラムの狭い街角をただ男達が歩んでいくだけだ。やがて男達は葬儀を終えて自室に戻る。二人の男が、死んでしまった男の部屋にたむろしている。彼らは部屋に残った私物を漁りながら呟く。「あの野郎、俺たちに何も残さず、全部、墓の中に持って行っちまいやがった・・・・。」

やがて画面が変わり、暗闇の飛行場が映し出される。飛行機が一機止まっており、後部ドアが開いて女の姿が見える。やがてタラップが徐々に近づいていき、ひとりの黒人女性がタラップから降りてくる。なぜか彼女は裸足で、歩みとともに水がしたたり落ちる。女性の裸足だけが映し出されるだけで、彼女の顔も姿も定かではない.タラップを降りたところに黒人の掃除婦達が数人、彼女を待ち構えている。歩み寄る黒人女性。掃除婦のリーダーらしき女が歩み出てその黒人女性を抱擁し、囁く。「ヴィタリナ。あんたの夫の葬儀は三日前に終わってしまった。あんたの夫は何も残さなかった。家は借家だ。あんたがここにいる意味は何もない。すぐに故郷に戻りな。」。しかし、黒人女は、「ありがとう」と一言呟くと、そのまま掃除婦達のグループを離れ歩み去る。

ペドロ・コスタ監督の新作「ヴィタリナ」はこうして幕を開ける。「ヴァンダの部屋」や「コロッサル・ユース」同様、舞台はリスボンのスラム街である。そこは、多くのアフリカ系移民達が暮らしており、そこら中にコゴミがあふれ、常に隣人の喧噪が聞こえてくるところだ。ペドロ・コスタは、この街を舞台に、ひとりの移民の男の死と、アフリカで彼を40年間待ち続けた妻ヴィタリナの物語を語り継いでいく。ヴィタリナは、夫の訃報に接してアフリカからリスボンにやってきた。亡くなった夫の部屋にとどまってその死を悼み、状況を把握しようとする。ヴィタリナは、夫の死を看取った友人や、葬儀を行った司祭達と出会い、夫の話を聞くが、その暮らしぶりもその死の理由も容易には明らかにならない。。。。

ロカルノ国際映画祭2019で金豹賞と女優賞をダブル受賞し、全世界で注目を集めているペドロ・コスタ監督の新作は、期待に違わず、深い思索性と、圧倒的な映像美に裏打ちされた傑作だった。いつものように、ペドロ・コスタ監督は、リスボンのスラムに住むアフリカ移民コミュニティの住人達の実人生から物語を立ち上げる。「ヴィタリナ」も同様である。物語は、まさに主演のヴィタリナが経験したものなのだ。夫と結婚したにもかかわらずすぐに夫はリスボンに出稼ぎに出かけ、アフリカにはほとんど戻ってこなかった。いつかリスボンに呼び寄せると言いながら、娘が生まれても結局、40年間、一度も航空券を彼女に送ることはなかった。

そんな亡き夫の家に居座り続けるヴィタリナを描いた本作は、前作の「ホース・マネー」と対をなす作品だと言って良いだろう。同じリスボンの移民コミュニティを描いているとは言え、「ホース・マネー」が男を描き、政治を描くのに対し、「ヴィタリナ」は女を描き、家族を描く。「ヴィタリナ」のテーマは、徹底的にプライベートな世界だ。夫との関係、個人的な思い出、そして追悼と信仰・・・。しかし、その徹底して私的な世界の探求が、思わぬ形で普遍性へと突き抜けていく。それがペドロ・コスタ監督の手腕だろう。

映画は、冒頭からまるで宗教画のような美しい画像の連鎖で始まる。光と闇のコントラストの中に浮かび上がる人々の顔とたたずまいの美しさには息をのむ。まるでカラヴァッジョの絵を見ているかのように、圧倒的な光と闇の交錯、そして劇的な人物が浮かび上がっては消えていく。素晴らしい。

そして信仰。ヴィタリナは、キリスト教徒として夫の喪に服す。ただひとつの宗教的アイコンであるキリストの十字架像に蝋燭の火を絶やさないよう供え続けるヴィタリナ。蝋燭の光に照らされて浮かび上がるキリスト像の場面は、例えようもなく美しい。スラムの中で、そこだけは完全に俗界を離れた聖なる空間として屹立している。

とは言え、この物語は、単に長い間別れ別れになっていた妻が亡き夫を追悼するというだけの単純な物語ではない。物語は、ヴィタリナが亡き夫の知り合いと会い、語り合う中で徐々に揺らいでいく。夫の死因は何だったのか。友人は病気だったと言うが、もしかしたらそれは自殺だったかもしれない。故郷の自宅は、ヴィタリナの言葉を借りれば短い休暇を取って帰宅した夫が寝食を惜しんで二人のために自らレンガを運んできて建てたもののはずなのだが、映画は別の可能性を示唆する。さらに、亡き夫の元を訪れ、彼の全財産を奪って姿をくらましたもう一人のヴィタリナのことが語られる。彼女は一体何ものだったのか。そもそも水をしたたらせながら裸足で登場したヴィタリナ自身が本当に生者としてリスボンに降り立ったのか・・・・。

かくしてヴィタリナの物語は、ごく限られた空間と人々だけの物語であるにもかかわらず、揺らぎを通じて拡散し、様々な可能性に向けて開かれはじめる。だからこそ、深い闇の中で語り継がれる物語が、ある死をきっかけに昼の光を取り戻し、昼の時間帯を回復する時、別のよそおいを示すだろう。リスボンを見下ろす丘の墓地という開かれた空間をカメラが映し出す時、観客はそこに一抹の救済と解放を見いだす。それは、ヴィタリナ自身の心の推移を表現しているのかもしれない。最後に映し出される謎めいたショットが、ヴィタリナと亡き夫の間のありえたかもしれない複数の可能性を示唆する。謎は回収されたのだろうか。それを確認するためにも、ぜひ映画館に駆けつけてほしい傑作。

(ちなみに、監督インタビューが映画.comに掲載されています。詳細はこちらから。

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