アートを巡る旅 in 京都(1)

ようやく時間が取れたので、週末を利用して京都へ。お目当ては、新たに生まれ変わった京都京セラ美術館。建物自体も見たかったし、開館記念展の「杉本博司 瑠璃の浄土」展も見逃せない。終了直前だけどぎりぎり間に合った。

建物は、現館長でもある青木淳さん他の設計。元の建物をできる限り維持しながら、新たに機能的な美術館に生まれ変わらせるために、正面から地下に入る巨大なスロープを設け、エントランスやミュージアム・ショップなどを地下一階に設けた。そして、1階部分は、印象的な螺旋階段と2階のバルコニーを持つ吹き抜けの空間を作り、さらに裏側をガラス張りにしてそのまま庭へとつなげた。この結果、とても開放的な空間が出来上がった。これはとても気持ちが良い。ホール部分は、天井まで吹き抜け広々としており、さらに螺旋階段からバルコニーをつなぐ壁面が有機的なカーブを描いていて空間にリズム感を与えている。建物の奥がガラス張りでそのまま庭とその向こうに広がる京都の街と山並みが見えるのも心地よい。さらに、地下1階のミュージアムショップも、建物の前のスロープ側をガラス張りにしたことにより、外光が差し込み、スロープを歩く人たちを見ることができて明るく広がりを持った空間になっている。古い建物の良さを残しながら、機能的で快適な場所を作り出した青木淳さんのコンセプトは素晴らしいと感じた。公共空間として理想的である。

1階のホール。天井までの吹き抜けの開放感とらせん階段の壁の曲線の美しさ!
地下一階のミュージアム・ショップから見える美術館前のスロープ
美術館から裏手の日本庭園が一望できる

展覧会の方も、良い展覧会だった。杉本博司さんの新作は、ガラスで作られたミニチュアの多宝塔シリーズ。一つ一つの作品に、杉本博司さんの海シリーズの作品がはめ込まれている。観客は、多宝塔に反射し屈折する光の移ろいを楽しみながら、その小さなガラスの中に映し出される静謐な海の画像を観賞するという仕掛けである。ガラスの中の海。小さくて細部はよくわからないけれど、多宝塔のガラスの中に写真とはいえ海が見えることに新鮮な感動を覚える。多宝塔は、仏教的な宇宙観を造形化したものだから、その中に宇宙が見えるのは当然なんだけど、それを海の写真という形で視覚化したことで、より多宝塔の持つ意味が浮かび上がった。さすがは杉本博司。

今回の展覧会では、三十三間堂の阿弥陀如来像を撮影した「仏の海」シリーズも展示されているし、ニュートンの分光器をテーマにしたOpticksシリーズも展示されていて見応えがある。僕はOpticksシリーズは、今回初めて見たんだけど、自然光を分光させ、これをフィルムに定着した作品が、マーク・ロスコの絵画と同じような色の階調を持った作品になるのは発見だった。ロスコはこのことを意識していたのだろか。カトリック教徒として、ある種、信仰のあり方をアート的に表現しようとして苦闘したロスコがたどり着いた抽象画の世界が、実は自然光の分光と一致するという事実。これをどう解釈すれば良いかよくわからないけれど、何か深い意味があるような気がする。杉本博司さんが、これをどのように受け止めたのかも気になる。

Opticksシリーズ。ほとんどロスコですね。

でも、今回、最も気に入ったのは、実は杉本博司さんが収集した瑠璃ガラスや隕石、腕輪・勾玉・首輪などの考古遺物、そしてガラス茶碗。一見、無関係に見えるアイテムが何の説明もなく同列に並べられ、展示されている。これらが展示ボックスの中で印象的な照明の中に浮かび上がる時、とても神秘的な感動を覚える。隕石と仏像と勾玉とガラス茶碗・・・。強いて共通点をあげるとすれば、ガラスが入っていることによって美しく輝いている点ぐらい。それなのに、この展示に僕はアートを感じた。たぶん、杉本博司さんも、これがアートだと考えたから展示したんだと思う。骨董品や隕石などのコレクター・アイテムを並べたものがアートになるなんて、ある種、アートの自己否定みたいなところがあるけれど、これをどう考えれば良いのだろう。。。

イミラック隕石とリビアンガラス
瑠璃の浄土

でも、考えてみれば、杉本博司の写真作品も、ある種、アート性を徹底的に排除したところで作品を成立させてきたところがある。彼が取り上げたテーマは、ジオラマ、古い映画館、海、仏像・・・。それをほとんどミニマリズムと言っても良い形で写真作品として提示したのが杉本さんの考えるアートだった。これがアートとして成立するのであれば、わざわざ印画紙に感光させる必要などない、という考え方は成り立つ。

さらにもう少し掘り下げて考えてみると、この作品もまた「光」をめぐる作品だと考えられるのかもしれない。無人の映画館で映画をフル上映し、その光を長時間露光させた杉本さんの代表作シリーズにおいて、フィルムに定着したのはフル上映された映画の光であり、そこに織り込まれた時間だった。今回展示されたガラス茶碗や腕輪、さらには隕石さえも、そこにはそれが作られ、現在に至るまでの時間が集積されている。人為的に作られたものであれ、自然に生成したものであれ、そこには時間の堆積がある。そのガラスが、光を当てられて妖しい輝きをみせるとき、僕たちはただ光り輝くガラスを見るだけでなく、そこに織り込まれた時間を見ているのかもしれない。そう考えると、今回のコレクションもまた、杉本アートの重要な作品群だと言っても良いのだろう。今回はカタログを買わなかったけれど、杉本さん自身がこの作品群にどのような解説を加えているかも気になる。

薬師如来懸仏

余談ですが、鈴木泰広さんの「空気の人」の展示も面白かったです。室内いっぱいに広げられたビニールの人物像。広い空間を漂う人間の手のオブジェ。そして美術館前のスロープを埋め尽くすように横たわる巨大な「空気の人」。透明なビニールだけの作品なので、まさに「空気」感がよく出ていてインパクトがありました。

鈴木康広「空気の人」

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