ウォルフガング・ペーターゼン監督「エアフォース・ワン」

BSシネマでウォルフガング・ペーターゼン監督の「エアフォース・ワン」が放映されたのでつい最後まで見てしまう。1997年公開作品。ハリソン・フォードとゲイリー・オールドマンが出演している。監督は、80年代から90年代にかけて「U・ボート」、「ネバー・エンディング・ストーリー」、「ザ・シークレット・サービス」などのヒット作を飛ばした。この作品も、手堅くアクション映画としてまとめられている。

映画の舞台は、米国大統領専用機エアフォース・ワン。米ロ合同特殊部隊がカザフスタンの独裁者の拘束に成功する。3週間後、これを祝ってアメリカ大統領ジェームズ・マーシャル(=ハリソン・フォード)がロシアを訪れ、晩餐会でテロとの戦いへのコミットを宣言して拍手喝采を浴びる。大統領は、家族を伴ってエアフォース・ワンで帰国の途につくが、カザフスタンの独裁復活を願うテロリスト、イワン・コルシェノフ(=ゲイリー・オールドマン)たちは、取材記者団に偽装してエアフォース・ワンに侵入。内通者の助けでエアフォース・ワンのハイジャックに成功する。これを察知したシークレット・サービスは、大統領を緊急脱出ポッドで避難させるが、大統領は家族を守るために密かに機内に残っていた。地上では、副大統領がテロリストとの交渉に臨み、独裁者を即座に解放しない限り機内に残った者たちを1人ずつ殺していくというテロリストの要求に屈せずに事態の打開を図ろうとする。かくして、家族とスタッフの命を守るために大統領の孤独な反撃が始まる。。。

この映画が公開された当時の最大の売りは、エアフォース・ワンという機密の塊のような飛行機の内部をフィクションとは言え公開した点。セキュリティの観点からいろいろと細部に修正を加えたり、肝心な部分はぼかしているとは思うけれど、結構リアリティのある内部描写が話題を呼んだ。これが可能になったのも、ベルリンの壁崩壊とこれに続くソ連の解体による冷戦終結。そして、クリントン政権の改革政策である。思えば、作品が公開された当時、まだ世界は冷戦終結によるグローバル化の進展に可能性を感じていた。その期待は、映画が公開された1997年にアジア金融危機によって無残に打ち砕かれることになるのだけど。。。

だから、この映画はアクション映画と言うよりも、歴史を振り返るよすがとして見た方が面白いかもしれない。独裁者を拘束するためには世界の警察官として超法規的な措置も辞さないというアメリカの外交政策がまだ手放しで賞賛されていた時代。この考え方は、人権保護の責任(Responsibility to protect)として国連の原則の一つとなるが、ブッシュ政権でのイラク侵攻やクリントン政権下でのユーゴスラビア紛争介入で明らかなように、人道的介入の名の下に、大国が国際世論を操って一方的な介入を正当化してきた事実を忘れてはならない。それは、9.11後のイラク侵攻でも再び繰り返されるだろう。

そんな難しいことを考えなくても、もちろんこの映画は楽しめる。ビル・クリントン大統領と妻のヒラリー、娘のチェルシーが明らかにモデルとなっているけれど、その後のビルの弾劾やヒラリーの大統領選立候補を知っている今の僕たちの目から見ると、彼らのあまりにも理想主義的な描き方にはつい笑みがこぼれてしまう(ちなみに、チェルシーは本当に将来、大統領選に立候補するのだろうか。。。)。大体、大統領だけど元海兵隊で戦闘能力も高いなんて設定は、ちょっと無理がある。。。

とは言え、発射されたミサイルからエアフォース・ワンを守るために、護衛の戦闘機が身を挺する場面などは思わず感動してしまう。あの時代、少なくとも命をはって大統領を守ることの大義はまだ信じることが出来た。分断をあおり、フェイクニュースをまき散らし、私利私欲のために外交すら私物化し、さらには選挙で敗北しても不正選挙を言いつのって大統領の座を容易に引き渡そうとしないトランプ政権を経験してしまった今から見ると、この映画ははるか大昔の物語のようだ。

映画とはあまり関係ないところで、思わずノスタルジアに浸ってしまいました。

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