フランク・ダラボン監督「ショーシャンクの空に」

BSシネマで「ショーシャンクの空に」を観る。フランク・ダラボン監督・脚本による1994年の作品。主演はティム・ロビンスとモーガン・フリーマン。受賞はなかったものの、アカデミー賞7部門にノミネートされた名作。

物語の舞台は1947年のアメリカ。優秀な銀行員アンディ(=ティム・ロビンス)は、妻と愛人を射殺した罪に問われて終身刑を言い渡され、ショーシャンク刑務所に服役する。この刑務所は、所長は囚人に野外作業をさせてその収入をピンハネし、主任刑務官は囚人に過剰すぎる暴力を加えて時には死にいたらせるという最悪の場所だった。しかも、アンディは、荒くれ者が率いる囚人グループに目をつけられ、官吏の監視の隙をついては強姦されるという悲惨な境遇に陥る。唯一の友人は、終身刑で長年にわたって服役し、他の囚人たちから「調達屋」として重宝がられているレッド(=モーガン・フリーマン)だった。しかし、アンディは、その税制や法律の知識を駆使して官吏たちの信頼を得、徐々に刑務所内での地位を確立していく・・・。

物語自身が、脱獄ものとして完成度が高く、しかもその過程で様々な人間模様を織り込んでいて魅せる。既に何回か観て細部を把握していても、やはり面白い。言うまでもなく、原作者スティーブン・キングの語りのうまさを実感する。刑務所という閉ざされた空間の物語であるにもかかわらず、全く飽きさせない構成はさすがである。

でも、今回、わざわざこの作品を見直したのは、最近、フランク・ダラボン監督に関心を持つようになり、改めてフランク・ダラボン監督作品として見直したかったから。

フランク・ダラボン監督は、初期の短編を除くと、これまでに4本の監督作品がある。「ショーシャンクの空の下に」、「グリーン・マイル」、「マジェスティック」、「ミスト」である。これ以外に、テレビ映画シリーズで「ウォーキング・デッド」と「モブ・シティ」。また、脚本家として「エルム街の悪夢3」、「ブロブ」、「ザ・フライⅡ」、「フランケンシュタイン」などに関わっている。このラインアップで明らかなように、作品の多くは、超常現象やモンスターを扱った映画である。そうでない場合でも、そこには何か人智を超えたものの存在を感じさせる。このように、ダラボン監督は寡作だが、脚本参加作品も含めてその作品群には一貫性が感じられる。

実際、こういった彼の作品群を踏まえた上で改めて「ショーシャンクの空の下に」を見直してみると、監督が取り扱う一連の主題が既にこの作品に登場していることが分かる。例えば、彼が描く作品は、常にある閉鎖された空間に閉じ込められた人間たちの物語である。そこでは、狂信的な宗教指導者が閉じ込められた人間たちを扇動して異端者を排除しようとしたり、あるいは自分の意に反するものを抑圧しようとする。彼の作品の主人公は、この宗教的な指導者の欺瞞や偽善を冷ややかに見つめながら、自ら強力な力によって人びとに影響力を与え、その閉ざされた世界から脱出しようとする。その脱出劇は、成功する時もあれば、失敗する時もあり、他の者を誘う場合もあれば、他の者の脱出に失敗する場合もある。何よりも重要なことは、この閉ざされた空間は過剰な暴力によって支配されており、多くの罪なき者たちが命を落とすことになる陰惨な場所であるという点である。

一体これはどう云うことだろう?4本の作品は、それぞれ全くテーマが異なる。「ショーシャンクの空の下に」は脱獄の物語であり、「グリーン・マイル」は同じ刑務所を舞台にしているが奇跡をめぐる物語である。「マジェスティック」はマッカーシズムが吹き荒れる時代の小さな町の物語であり、「ミスト」はある時突然深い霧に覆われて奇怪なクリーチャーに襲撃される町の物語である。にもかかわらず、基本的な構造は驚くほど似ているのだ。

多分、ダラボン監督には、映画を通じて追求したいテーマがあるのだろう。それは、なぜ人間は極限状況に追い詰められると狂信的な宗教指導者の下に集結してしまうのかという問いであり、そのような集団の病とは無関係なところでひっそりと生起する秘蹟はいかにして可能かという問いなのだろう。彼がこうしたことにこだわる理由はわからない。もしかしたら、それはハンガリー動乱から政治難民として西側に逃れ、難民キャンプで過ごしたという彼の個人的な体験に根ざしているのかもしれない。

いずれにせよ、彼が追求するテーマに僕は強く惹かれる。彼が映画を通じて描く世界は、極限状況を描いているように見えるけれど、そこには何か、この世界のあり方そのものの隠喩のようにも思えるからだ。彼は映画の中で、この闇の世界における光の可能性について問い、この陰惨な世界から脱出するために深い闇の世界をくぐり抜ける必要を説き、そして脱出の後の水による浄化と光による祝福を提示する。

しかし、そもそもこのような救済は可能なのだろうか。最初の3作がある種、前向きの希望を感じさせる結末だったのに対し、4作目の「ミスト」の結末には救いがないように感じられる。その揺らぎが、僕の心のどこかに引っかかっている。最近はテレビ作品と脚本、製作が中心でなかなか新作を観ることが出来ないけれど、ダラボン監督は僕にとって、やはりとても気になる監督である。名作「ショーシャンクの空の下に」を見返しながら、長年にわたって企画を温めている「華氏451」のリメイクを含めて、ダラボン監督にはぜひ新作に取り組んでほしいと感じた。

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