内田吐夢監督「飢餓海峡」

ちょっと時間が取れたので、録画したままにしておいた内田吐夢監督の「飢餓海峡」を観ることにする。183分のノーカット版。今どきの映画は2時間超えが普通だからそれほどの違いはないはずなんだけど、やはり3時間を超える作品を観るにはちょっとした気持ちの余裕が必要。特に、「飢餓海峡」のような名作は、しっかりとした気持ちで観たい。

この映画は、1965年の作品。原作は水上勉。出演は、三國連太郎、左幸子、高倉健、伴淳三郎、藤田進・・・と豪華。しかも、音楽が冨田勲。毎日映画コンクールで監督賞、脚本賞、男優主演賞、女優主演賞、男優助演賞を受賞。これに内田監督が芸術選奨他を取り、キネマ旬報日本映画ベスト・テンで第5位に入っている(ちなみに1位は勅使河原監督の「砂の女」、2位は小林監督の「怪談」。思えば贅沢な時代だった。。。)。まさに日本映画史に残る傑作でした。

物語の舞台は戦後間もない昭和22年の北海道。強盗が質店に押し入って一家を殺害し、大金を強奪した上に火を放つという凶悪な事件が発生する。その夜、北海道を襲った猛烈な台風により青函連絡船が転覆。多数の死者が出る。しかし、その中に、乗船名簿には含まれていない身元不明の2名の遺体があった。函館署の弓坂刑事(=伴淳三郎)は、この遺体が質店襲撃犯の3人のうちの2人だと判断。強奪した金を持って逃走している残り1名の大男の追跡を開始する。同じ頃、青森県大湊の娼婦・杉戸八重(=左幸子)は、一夜を共にした見知らぬ客・犬飼多吉(=三國連太郎)から思いがけない大金を渡される。彼女は、その大金で娼婦から足を洗い、状況として生活をやり直そうと決意する・・・・。

長い物語である。映画は、冒頭の強盗事件から、3人組の逃亡、青函連絡船の転覆の混乱に乗じた決死の津軽海峡横断、そして犬飼と八重の出会い・・・と順を追って描いていく。しかし、その一つ一つの画面の強度が圧倒的で、ぐんぐんと観客は映画の世界に引き込まれる。ざらっとした白黒の画面の質感と、映画内に飛び交う方言、そして俳優の強烈な演技が、リアリティを高める。きっと、大画面で観たらすごかっただろうな、と思う。これこそ映画を観る喜びである。

しかも、画面の密度が凄い。例えば、転覆した青函連絡船の遭難者の救助ために、警察・消防団が、浜辺に到着する場面。パトカーと消防車が隊列をなして道路を疾走し、浜辺に続々と到着する。そこから大挙して警官と消防士が浜辺に駆け下り、ボートに乗りこんで次々と荒海に漕ぎだしていく。その緊迫感が凄い。まるでドキュメンタリーを見ているようなリアリティ。

かと思うと、実験的な映像が挿入される。まさか、こんな商業映画大作でマン・レイが開発した「ソラリゼーション」の動画版を観るとは思わなかった。不意を突かれて驚く。しかも、この特異な映像が、登場人物のある種、狂気との境を彷徨う心象風景をこれ以外にないという形で示しているのだ。

さらに内田監督は、過激な演出を続ける。犬飼と八重が身体を重ねる場面。布団にくるまった二人が狂ったようにしっかりと抱き合い、転がるように身体の位置を入れ替えていく姿を、カメラは上から長回しで撮り続ける。カメラは二人の表情などには全く関心を示さず、布団からはみ出た手や足を切り取るように映し出し、さらにまるでそれ自体が生きているかのような布団の動きを追っていく。まるで実験映画を観ているような感覚である。

冒頭から犬飼を追ってきたカメラは、この場面を境に八重に視点を移す。その後、八重は売春から足を洗い、東京に出て生活を立て直そうとする。それは、敗戦後の混乱の中で、占領軍である米兵が街を闊歩し、売春婦やオンリーと呼ばれる米兵の愛人が街に溢れ、人びとは生き残るために日々諍いやだましだまされを繰り返していた時代だった。この映画が公開された1965年という年は「もはや戦後ではない」という言葉が経済白書を飾り、1964年の東京オリンピック開催を経て高度成長に沸いた時代だった。しかし、時代の空気に抗うかのように、内田監督は、敗戦後の混乱した風景を映画でリアルに提示する。その画面は、まるで「まだ戦後は終わっていない」というメッセージのようにも見える。

映画は、八重の上京後の足取りをしばらく追った後、八重と犬飼が再会し、新たな事件が起きる様子を描いていく。犯人探しに執念を燃やす味村刑事(=高倉健)に、10年を経てもなお犬飼の追跡を諦めない弓坂刑事が絡み、映画は刑事たちと犬飼の緊迫した心理ドラマへとトーンを変えていく。北海道の原野から戦後の焼け跡の傷も生々しい東京の喧噪を経て、舞鶴での犯罪捜査劇へ。舞台が移り、物語のトーンが変わっても、一貫してこの映画が追求しているもの。それは、貧困がもたらすどうしようもない人間の醜い性。人びとは、生きるために、そして少しで暮らし向きを良くするために他人を出し抜こうとする。

しかしそんな殺伐した世界の中でも、人は優しさに触れた時、素直にそれを受け入れる。ただ一夜しか会っていないにもかかわらず、八重が犬飼のことを思い続けたのは、大金をもらったこと以上に犬飼の優しさに触れたからだろう。人が持つ共感する力、相手をとことん信じて身を委ねることができる力を映画は生々しく描き出す。八重が、上京した後、小料理屋の自室で犬飼が残した爪に情熱的に語りかけ、まるで愛撫し愛撫されるかのように爪をもって横たわる場面の強度は、そこにある。圧倒的なエロス!

そんな戦後日本の生々しい現実を描きながら、内田監督はそこに宗教性を加える。

映画の前半、台風の暴風雨の中、津軽海峡を渡りきった犬飼が偶然のぞき込む恐山のイタコの姿。盲目で髪を振り乱してトランス状態に陥り、死者の言葉を伝えるイタコの姿を見て犬飼は思わず後ずさりする。それは、死んでしまった二人の仲間たちの霊に対する怯えであるかもしれないが、映画はさらにその奥にある普遍的な死者に対する畏敬の念をも映し出しているかのようだ。視力を失った目が無気味に白く輝き、イタコの視線は宙を彷徨う。死者と生者の境界を架橋する存在だけが持つ神秘と無気味さが定着された印象的な場面である。

この場面は、映画の最後、青函連絡船の甲板から恐山を遠望する弓坂刑事と犬飼多吉たちを捉えたショットでも繰り返されるだろう。そして、映画は唐突に幕を閉じる。結末の場面の背後では、死者を悼む般若心経の読経の声が低く流れ続けていたことを忘れてはならない。この映画は、いわばイタコの口寄せに導かれるように北海道から内地に渡った二人の男女が、数奇な人生を経て、最後には再び津軽海峡で読経に弔われるように去って行く物語なのである。その読経の声は、もしかしたら八重と犬飼だけでなく、高度成長下の日本で忘れ去られつつあった、第二次世界大戦の死者たちへの追悼の儀式だったのかもしれない。

こう考えると、映画の舞台が、函館から八戸を経て東京に至り、舞鶴に転じた後に再び津軽海峡に戻ってくることの意味も別の相貌を帯びてくる。映画に描かれた東京は、既に述べたように占領軍がわが物顔に歩き回り、女たちは富を求めて占領兵士たちに媚びを売る混乱した状態にあった。そこで生活の立て直しを図って苦闘する八重を描いた後、映画は舞鶴に舞台を移す。舞鶴は、言うまでもなく敗戦後に中国からの帰還兵や引き揚げ者が大量に戻ってきた街である。そして、シベリア抑留兵が数年間の重労働の末に解放され、帰還したののも舞鶴だった。この街は、いわば日本の敗戦の負の記憶を一身に背負った街でもあるのだ。そこで八重と犬飼が再会し、悲劇が起きる。内田監督は、舞鶴という街を舞台とすることで、1965年の高度成長下の日本に敗戦の記憶を改めて招喚し、ここに帰還することもできずに死んでいった者たちへの鎮魂を目指したのかもしれない。

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