フロリアン・ゼレール監督「ファーザー」

今日は映画の日。緊急事態宣言は延長されたけれど、映画館の「自粛」は解除された。そもそも映画館閉鎖がおかしな事態だったから当然と言えば当然だけど、やはり映画館で映画を観ることが出来るのはうれしい。久し振りにロードショー上映を観たいと思って、アンソニー・ホプキンス主演、フロリアン・ゼレール監督の「ファーザー」を観に行く。今年度、アカデミー賞の主演男優賞と脚色賞を受賞した作品。この作品は、もともとフロリアン・ゼレールの戯曲「The Father」を本人が映画化したものなので脚色賞が与えられた。原作の方もフランス・モリエール賞の男優賞と女優賞を受賞している。

物語は、ロンドンで一人暮らしを送るアンソニー(=アンソニー・ホプキンス)の自宅に娘のアンが訪ねてくるところからはじまる。アンは、アンソニーが住むフラットの近くに住んでいるが、彼女が手配した介護人をアンソニーが追い出したのを聞いてやってきたのだ。介護人などいなくても自分ひとりでやっていけると主張するアンソニー。そんな彼に、アンは、恋人が出来たのでロンドンからパリに引っ越すと告げる。そして、これまでのように毎日、アンソニーの元に通えないので、介護人を受け入れるか、それとも老人ホームに移るかを迫る。動揺するアンソニー。さらに、アンソニーの自宅に見知らぬ男が現れ、その家は彼とアンの家だと主張し始め、せっかく気に入った介護人は、翌日、見知らぬ女に変わっている。異変に気づいたアンソニーは、徐々に不安感を募らせていく。一体、彼の家で何が起こっているのか。。。

良質な舞台を映画に移し替えた作品である。構成がうまい。ふと気がついたら見知らぬ男が自宅のソファーに座っており、さっきまで話していたアンの姿が消えている。その男は、10年以上も前からこの家に住んでいると語る。いつもと変わらぬ日常に忍び込んでくる違和感。これが積み重ねられていくことで、現実と幻想の境界が曖昧化していく。さらに、無限ループのように細々したエピソードが繰り返されることで、狂気が加速される。それを裏付けるアンソニー・ホプキンスの迫真の演技。アカデミー賞男優賞を受賞したのもうなずける。

映像も美しい。特に、青が印象的である。映画の最初の方では、濃紺に近い青いショッピング・バックが画面に微妙な不均衡をもたらす。単色としては美しいけれど、それが普通のキッチンに置かれると違和感を感じさせるのだ。その青は、徐々に室内を侵食していくだろう。青い椅子やクッション、さらにアンの服も青い。廊下や壁も徐々に青色に染まっていく。そのように青が画面を覆うに従って、アンソニーの混乱も加速していく。この映画は、この青が希薄化しつつすべてを覆ってしまうことで終わりを迎える。青にどのような意味があるかは、おそらくアンソニー本人にしかわからないかもしれない。しかし、この青の浸食は、確実にアンソニーの意識と連動している。だから、最後に、カメラがこの青を離れて画面一杯に緑を招喚するとき、観客は、この映画が終わったと言うことを知ると共に、少しだけ安堵感を覚える。その緑は、少なくともそれを観ているアンソニーの意識が現実に戻ってきたことを告げているかもしれないからだ。

初監督作品としては、良くできた作品だと思う。ただ、せっかくロンドンを舞台にしているのに、なぜか英国の舞台俳優出身のアンソニー・ホプキンスのセリフがアメリカ英語に聞こえるのは気になった。「日のなごり」で完璧なクイーンズ・イングリッシュを駆使したアンソニー・ホプキンスだから、話せないはずがない。何か演出の意図があったのだろうか。。。よく分からない。それと、せっかく映画化したのだから、もう少し映画的な楽しみを加えても良いかな、と思う。例えば、窓から外を見下ろす場面や、家族写真、末娘が描いた作品などなど。映画は、演劇と違って、閉ざされた空間に外部を導入し、現在とは異なる時制を招き寄せることが出来る表現形態なのだから。。。でもまあ、悪くない作品だと思います。

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