ジョン・ヒック著「宗教の哲学」

キリスト教の「神」という観念には以前から興味がある。八百万の神々が棲まう日本人にはなかなか理解し難いけれど、唯一絶対の神、世界の創造神であり永遠・全能の存在という考え方は、とても興味深い。

例えば、「神は存在するか」という命題を考えてみる。信仰の対象となっているのだから、信者にとって「神は存在する」し、不信心者や異教徒にとって「神は存在しない」と答えたいところだが、これは一神教の考え方には当てはまらない。なぜなら、「神は存在する」と言ってしまった瞬間に、神は「世界内存在」となってしまい、この世を超越した存在でなくなるからである。このため、「神は存在する」と回答した信者は、神の無窮性・永遠性・絶対性を否定する背信の徒になってしまう。これは強烈な背理だろう。

そもそも、神の「無窮性」「永遠性」「絶対性」という表現自体が、神の唯一絶対性を否定することになる。なぜなら、「無窮性」「永遠性」「絶対性」という性質を神に付与すれば、神の無限性や万能性が限定されてしまうからである。これは唯一絶対神の否定につながる。これもまた背理である。

では、そもそも私たちは、このような唯一絶対の神を思考できるのだろうか?そこにも背理が生じる。なぜなら、被造物である人間の思考は、その本性として有限であり、神のような無窮の存在が有限的な存在によって思考されることはありえないからである。神は、常に我々の思考を超え出ていくものであり、これを思考することなどできないはずである。

このように、唯一絶対の神について思考するとき、私たちはいくつもの背理に直面して途方に暮れることになる。

これ以外にも、様々な問題があるだろう。「なぜ悪は存在するのか」「人間の自由意志は存在するのか」「我々人間の魂は不変なのか」「神の愛とは何か」等々、すべて神をめぐる問いは、その唯一絶対性を巡って奇妙な背理に陥ることになる。その究極的な例が、「イエス・キリスト」である。神の子でありながら、現世的な存在として受肉し、十字架にかけられたこの男をどのように考えれば良いのだろうか。絶対的な神は、なぜこのような存在をこの世界に出現させてしまったのだろうか。

こうした問題に関心を持ってしまった人間にとって、本書「宗教の哲学」はとても分かりやすい入門書である。本書では、長いキリスト教の歴史を通じて議論されてきた神をめぐる多様な議論が簡潔に整理されている。しかも、これは「宗教の哲学」であって「神学」ではないので、キリスト教に対する信仰を離れて客観的にこうした問題を論ずることができる。

その上、著者のジョン・ヒックは、キリスト教の信仰から出発しながらも、「宗教多元主義」を掲げて、世界の多様な宗教を多様性のままで受け入れながら、比較検討を通じて人類にとって普遍的な宗教の可能性を探ろうという野心的な試みを追求した人だった。この点は、仏教徒である私にはとても共感できる。仏教徒の目から見ると、どうしてもキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の一神教の信者たちの態度は、排他的で傲慢に見えてしまうのである。「宗教間の対話」と言いながら、この3つの宗教だけで議論しがちなところがその典型だと言ってもいいだろう。この点、本書は、仏教、ヒンズー教などにも配慮していて好感できる。

そもそも、仏教徒は、「一切皆空」を掲げて創造主や唯一絶対の存在を否定するけれど、瞑想修行を通じて心の深みを探求することで、最終的にはこの世界から超越した「涅槃」へと到達しようという点で、今まで述べてきたような究極の背理である「この世を超え出た超越性」を目指しているのである。根本のところで、すべての宗教はつながっているという著者の考え方は、十分に納得できる。

20世紀において、世界は経済の発展と科学技術の発展に伴い世俗化が進み、最終的に宗教は消滅すると考えられていた。確かに、教会も寺院も、既存の制度的宗教に人々はどんどん背を向けている。でも、だからと言って、人間が非宗教的になった訳ではない。海外旅行先のホテルで衛星放送やケーブルテレビのチャンネルを覗いたことがある人なら、膨大な宗教番組が配信されていることに驚いた記憶があるはずである。米国のメガチャーチだけではない。中国語圏では仏教や道教、儒教が、またイスラム圏でも様々な番組が配信されている。21世紀は、むしろ宗教が新たな形態で復活している時代である。現代人は、今まで以上に、人間の本性としての宗教性に応えてくれる何かを求めはじめているような気がする。

ただ、残念ながら、日本では、こうした欲求に応えてくれる受け皿がない。95年のオウム真理教のテロ事件は、この点からも不幸で許しがたいものだった。あれによって、本来、宗教に向かうことができたはずの多くの人たちが行き場を失い、物質主義に走るか、妙な霊感商法やスピリチャル・ビジネスにハマるか、あるいは引きこもってしまうことになった。世界がどんどん宗教性を深めている中、日本人も同じように宗教的な欲求を抱えているにもかかわらず、これを適切に満たしてくれるものがみつからずに右往左往しているのが現代日本ではないだろうか。これは深刻な事態である。

こうした問題を考えるきっかけとしても、この本は有益である。人間は、この世を超えた超越的な存在なしに豊かな生を送ることはできない。別にキリスト教的な唯一絶対神である必要はない。ある種の理念でも良いし、美や善、あるいは世界に偏在するアニマでも良い。何か普遍的で永遠的なものがなければ、人はニヒリズムに陥るか、現世肯定的な快楽主義に走ってしまうだろう。そのような人生は、物質的にどれだけ豊かであっても、どこか空虚で寒々しいものになるに違いない。

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