フレッド・ジンネマン監督「ジャッカルの日」

BSシネマを録画してそのままにしていたフレッド・ジンネマン監督の「ジャッカルの日」を見る。テレビ放映で何度も見ているし、ストーリーもよく知っている話。石井ひさいちさんが四コマ漫画で取り上げるぐらい有名な作品だけど、やっぱり久しぶりに見返すと面白い。1973年のユニバーサル作品で、当時のユニバーサルに特徴的なちょっと粗い画質のドキュメンタリータッチの雰囲気がよく出ている。それが映画中に引用されている実写フィルムと違和感なくつながってさらに臨場感を高める。やはり傑作は何度見ても素晴らしい。

言わずもがなですが、作品はフレデリック・フォーサイス原作。1960年代のフランスが舞台。アルジェリア戦争を終わらせたシャルル・ド・ゴール大統領の決断に恨みを持つ秘密軍事組織(OAS)が、一匹狼の殺し屋ジャッカルにドゴール大統領暗殺を依頼。計画は秘密裏に進められるが、フランス政府がこれに気づき密かに捜査を開始。陣頭指揮を執るのはパリ警察のルベル警視。ジャッカルの本名も顔も分からない状態から、ルベル警視は徐々に彼を追い詰めていく。これを知りながら、偽造パスポートや変装を駆使してフランスへの入国に成功したジャッカルは、大量動員された捜査の網をかいくぐって、8月25日のパリ解放記念式典を目指す。ターゲットはもちろん、ド・ゴール大統領である。

この映画の魅力はなんと言ってもジャッカルの人物像にある。冷静な判断、周到な調査、卓越した射撃能力、捜査の裏をかいて潜伏する鋭利な頭脳、そして身元がばれそうになるとためらいなく相手を殺す冷酷さ。殺し屋の典型的なモデルと言ってもよい。怖いのは、結局、映画の最後まで、彼の本名も素性も明らかにされない点。英国とフランスという二大列強が総力を挙げても、身元が分からない人物が存在していたという事実は、何か畏怖に近いものを感じさせる。この人物造形だけでも見応えがある。

もちろん、フレッド・ジンネマン監督の演出も素晴らしい。さすが、ロバート・フラハティの助監督を務めた経験がある監督らしく、ドキュメンタリータッチの映像が魅力的である。こればかりは、真似しようと思って真似できるものではない。ただ外に出てカメラを回せばドキュメンタリーになる訳ではないのだ。

例えば、映画のクライマックスの、パリ解放記念式典の当日の場面。早朝から会場整理や警備チェックなどが行われ、さらに軍事パレードの予行演習が続く。日が昇り、人々が徐々に集まってくる。その様子をカメラが淡々と捉える。それまで、カメラは、終始、ジャッカルとルベル警視の動きに寄り添ってきたが、ここで急にジャッカルの気配がかき消されたようになくなる。実写フィルムを交えたドキュメンタリータッチの式典の情景のリアリティが、ジャッカルの不在を浮き彫りにし、観客はどこでジャッカルが登場するのか固唾をのんで見守ることになる。これが演出の妙。その長い停滞の後で、不意にジャッカルが登場し、暗殺現場へとなだれ込む演出のスピード感と切れの良さ。この対比もまた素晴らしい。まさに映画は時間の芸術であることを実感させられる。

今回、改めて見直してみて、一人称主観ショットから、バストやクローズアップ、さらに望遠カメラを通じた遠景でのショットや、ドアや窓越しの中景ショットなどが複雑に組み合わされていることに気づいた。これにより、観客はジャッカルの不安やルベル警視の焦燥感を共有しつつ、ある時には追われるものへ、ある時には追跡するものへとめまぐるしく感情移入先を変えていくことになる。そのダイナミズムがまさに映画を見ることの醍醐味なんだろう。淡々とした演出でありながら、見事に観客の心をコントロールしてしまう魔法のような作品である。多分、何度見返しても新たな発見があるだろう。

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