庵野秀明総監督「エヴァンゲリオン新劇場版 序・破・Q」

テレビでエヴァンゲリオンの再放送が始まったと思ったら、今度はBSでエヴァンゲリオン新劇場版の連続上映。さらにファン投票となんだか盛り上がっている。なぜだろうと思っていたら、何のことはない、新作がもうすぐ公開されるのでキャンペーンが展開されていると言うことだ。それにしても、公共放送のNHKがなぜここまで肩入れするのだろう?ディレクターの個人的な趣味だけでは説明のつかないこの入れ込み方。。。謎である。何か裏があるのだろうか。。。

でもまあ、こんな機会でもないと新劇場版は見ないだろうと思ったので、序、破、Qの三部作をまとめて見る。

「序」は、ほとんどテレビ版の再現。ただ、映像のクオリティが格段に上がっている。それはそうだろう。テレビ東京で放映されたアニメではなく、曲がりなりにも劇場公開である。個人的には、キャラクターの顔が少し一般向けになりすぎているのが気になったけど、よくできている。何よりも、テレビ版の自分探しゲームのトーンが下がっていてほっとする。むしろ、碇シンジと綾波レイの関係に焦点を合わせていて、これからどうなるのかと期待が高まる。

続いて「破」。いきなり新キャラのマリが登場して派手な戦闘シーンになり、おっと思わせるところはさすがである。しかも、物語はテレビ版から外れてシンジとレイの物語へと展開していく。悪くない。孤児の物語から、双子の物語へ・・・。既にテレビ版で世界観は分かっているので、別に謎解きの面白さはないけれど、この展開は分かりやすい。最後の壮大な終わり方もうまいと思う。

そして「Q」。マリと飛鳥による派手な戦闘シーンから、シンジの登場、アヤナミレイとの「再会」、カヲルの登場と、テンポ良く進む。物語を「破」から14年後に設定しているのも面白い。庵野監督、終末論的世界を描かせたら本当にうまい。それに、ヴィレがネルフと戦っているという設定も意外性を感じさせる。

こうやって3本まとめてみると、庵野監督がテレビ放映版の「失敗」を乗り越えて、独特の終末感とエンタテイメント性を備えた作品世界を作り出したことがよく分かる。しかも、派手な戦闘シーンの後に、一転して静かで停滞する時間を置き、そして最後に終末に向けて突き進む・・・という構成はしっかりと残している。この感覚は「シン・ゴジラ」にも通ずるものがある気がする。ただ、例によって碇ゲンドウが「予定したとおりだ・・・」と言って謎を先送りするのだけは少し鼻につく。そうやって、引っ張っておいて、4作目で本当にすべてに落とし前をつける気があるのだろうか・・・。

新劇場版を見ながら感じたのは、孤児達の物語が、少なくとも人々の関係性の物語へと進化したことである。飛鳥もマリも、類型的なキャラではなく、きちんと人間として描かれている。特にマリ。シン・ゴジラのカヨコを先取りするような、優秀な日系アメリカ人。圧倒的な武力と機動力を持ちながらサブに徹し、かつ状況をとても冷静に分析して時々シンジ達に突っ込みを入れるという新キャラの登場のおかげで、テレビ版が抱えていた出口のない息苦しさから解放されたような気がする。やっぱりキャラって大事ですね。

でも、このマリというキャラ、少し気になります。多分、既に誰かがどこかで分析していると思うけど、やはり日本人のアメリカ・コンプレックスをうまく解消してくれる役回りなんでしょうか。圧倒的な武力を持ちながら、サポートに回って表に出てこないなんて、普通考えられないじゃないですか。。。日本人がアメリカに対して持つ願望が投影されているキャラだと感じました。あるいは、それは伏線で、最後には重要な役割を果たすとか。。。。あ、こうやって深読みを始めた時点で、すっかり庵野監督のマーケティング戦略にはまってますね。

さて、完結編の「シン・エヴァンゲリオン劇場版」が近日中に公開されるとのこと。この遅れは意図的なプロモーション戦略なのか、完璧主義でまだ画像に修正を繰り返しているのか、それとも最後の落ちをまだ思いつかないだけなのかは定かではないけれど、「Q」の最後で、飛鳥が「やっぱり助けてくれなかったのね」という謎の一言をシンジに呟いて、アヤナミレイとシンジを引き連れて行くところで終わったのはやはり気になる。たまには、映画館でアニメを見るのも悪くないかな、と言う気がしてきました(でも、本当におちがつくのだろうか。。。)。

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