「近代日本画の華」展@大倉集古館

大倉集古館で「近代日本画の華」展を見る。1930年にローマで開催された「日本美術展覧会」の出品作を振り返る展覧会。

ローマの日本美術展覧会は、横山大観を団長に日本画の巨匠たち80名が参加し160以上の作品が出品された大規模な展覧会だった。資金を出したのは、大観のパトロンでもあった大倉喜七郎。ムッソリーニ首相のイタリア政府が主催した。日本は数年後に、国際連盟を脱退して国際社会から孤立し、10年後には、ドイツ・イタリアと三国同盟を締結し、第二次世界大戦に突入していくことになる。1920年代の国際協調主義に基づく国際交流から、1930年代のより国家主義的な色彩が強くなる国際文化発信への転換点に開催された展覧会。僕は、以前、国際文化交流に関係した仕事をしていたこともあり、美術史だけでなく国際文化交流史からもこの展覧会には関心があった。

展示は「描かれた山景I〜日本の里山」「描かれた山景II〜モノクロームによる」「美の競演〜花卉・女性」「動物たちの姿〜生命の輝き」の4部構成。いわゆる国威発揚的な作品や戦争画は展示されておらず、横山大観、橋本雅邦、菱田春草、川合玉堂、伊東深水、鏑木清方、竹内栖鳳ら巨匠の力作が並ぶ。国家主義というよりも、明治以降、ヨーロッパ絵画の手法を取り入れながら日本の伝統的な画材・題材・技法を深めることで独自に発展させてきた日本画の成果を海外に紹介したいという意欲が強く感じられる。

考えてみれば、「日本画」というのは不思議な存在である。日本の文化的伝統に立った絵画だと言いながら、江戸時代以前に「日本画」というものは存在しなかった。江戸時代までの絵画は、大和絵や浮世絵、あるいは狩野派や土佐派などの絵画があっただけだ。もちろん東京芸術学校のような国立機関によるトレーニング・システムもなければ、官展や文展のような政府が主催する展覧会などもなかった。そもそも日本画の構図や題材も、江戸期以前の花鳥風月とは全く異なるものが取り上げられている。「日本画」とは、日本が近代国家を成立させる過程で、「洋画」に対抗する日本独自の「文化」として人工的に作り上げたものである。その意味で、「日本画」は、作られた伝統の一つである。

こういう形でこの展覧会を見ると、日本画の展覧会でありながら、当時の西洋絵画の動向を強く意識していることが感じられる。例えば、山岳絵画。南画や浮世絵の伝統からは考えられない写実的な山壁の描写。横山大観の富士山でさえ、よく考えてみれば印象派の手法をモノクロの水墨画に応用した山岳絵画の応用に見えてくる。竹内栖鳳の傑作「蹴合」も、闘鶏の一瞬のダイナミックな動きを画面に定着した技の凄さに感動しつつ、ふとロートレックやドガの同じような一瞬の動きを描いた作品を思い出してしまう。そして、橋本関雪の猫や猿の繊細な毛並み。西洋の油絵が描き出す写実絵画とはひと味違う軽さと明るさを持った色調で、徹底的に質感までをも描き出す写実絵画。それは、近代日本が、その近代化の過程で、西洋絵画の手法を貪欲に取り込みながらも日本独自の技法を踏まえてこれに対抗しようとした成果だと言えるだろう。

団長の横山大観と後援者の大倉喜七郎が、この展覧会のコンセプトをどこに置き、参加作家に対してどこまで出品作に口を出したかはわからないけれど、今の時代からみれば、日本画の成果を海外に発信しようという主催者の熱い思いとは裏腹に、この展覧会が露呈しているのは絵画表現の国際的な同時代性である。海外に流出した浮世絵がジャポニズムとして19世紀末のヨーロッパの画家たちに大きな影響を及ぼし、そこで新たに生まれた印象派などの技法を日本からの国費留学生が学んで日本に持ち帰り、「洋画」という新たな芸術表現を日本に発展させる。これに危機感を持った伝統的な画家たちが、洋画に対抗する形で「日本画」を発展させる。そもそも、東京美術学校を設立した岡倉天心はフェノロサの影響を受けて日本画の重要性を認識したのであり、また、横山大観や菱田春草たちも長期にわたって米国と欧州を巡り、西洋絵画の手法を貪欲に吸収していた。「日本画」とはこうした国際交流の賜物であり、決して日本精神や日本固有の伝統から生み出されたものではない。

この展覧会の後、日本は急速に国際社会から孤立し、国粋主義に傾斜していく。この展覧会の出品作家たちも、こうした日本主義や国粋主義を顕揚する作品を作り始める。横山大観のように、日本の象徴としての「霊峰 富士山」を執拗に描きつづき、さらには自分の作品を売った資金を戦闘機購入に当てるよう軍に寄付したりする。僕は、そのことで横山大観の作品の価値を否定するつもりはない。ある時代の価値観を別の時代の価値観から一方的に断罪することはできない。ただ、彼らが追求した「日本画」は、日本画家たちの思いとは関わりなく、国際的なものだった点を忘れてはならないと思う。新たな表現が生み出されるのは、孤立や敵対からではなく、常に未知なる他者の発見と、彼らとの対話を通じてなのである。

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