アケルマン監督の「No Home Movie」は「ホーム」への複雑な思いが描かれた不思議な作品である。

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アケルマン監督が、死の数ヶ月前の母との交流を撮影したドキュメンタリー作品。これが彼女自身の遺作ともなった。

母親との最後の日々を描く映画

映画は、彼女の手持ちカメラやスマホで撮影した画像で構成される。テーブルをはさんで向かい合った母娘の会話。母は、ポーランドから逃れた難民で、アウシュビッツ収容所の生き残りでもある。しかし、彼女はほとんどそうした歴史的記憶については語らない。話題は日常の出来事や食事について、あるいは家族の思い出などである。

時に、二人はスカイプでも会話する。ニューヨークから、あるいは映画撮影中の地から、アケルマンはカメラをパソコンの画面に向けて母親の姿を映す。母親は、アケルマンのことを気遣い、何度も彼女のことを愛していると繰り返す。

映画タイトルが示すもの

一見すると、愛する母との最後の日々を撮影した親密な映画のように見える。しかし、タイトル「No Home Movie」が示すように、これは断じて家族の絆を描いたホーム・ムービーではない。

そもそも映画の冒頭は、どこか中東の砂漠の情景から始まる。遠くに道路が見えるだけの荒涼とした風景。猛烈な風にあおられている低木が延々と映し出される。暴力的とも言える風音。それはこの映画に不穏な空気をもたらす。

その後も、この砂漠の光景は繰り返されるだろう。時には、アケルマン特有の長回し移動撮影によって、難民キャンプとおぼしき建物も映し出される。この風景は、アケルマン監督が同時期に撮影を行っていた場所の記録でもあり、また彼女自身のこの映画に託した心象風景なのかもしれない。

そして、時々、挿入される無人の部屋の光景。さらに、おそらくは「盗撮」したと思われるアケルマン不在の家族の会話。気づかれないようにスマホのカメラをオンにしていたのだろう。そこには、アケルマンのことを揶揄するような発言も含まれる。こうしたシーンが挿入されることで、この映画はアケルマンと「ホーム」との心理的距離や、彼女が抱える違和感や疎外感が同時に描かれ込まれていく。

映画は徐々に認知症が進み、食事も取れなくなっていく母親の姿を映し出す。そこには、どこか突き放したような冷たさも感じられる。そして、母親が亡くなった後であろう無人のベッドや暗い部屋。それは、アケルマンなりの追悼や喪失感の表明だろうか。ただ、ここでもまた、感傷的な要素はまったく排除されている。

親密さと冷酷さが同居する映画の向こうに見えるもの

わざわざ「No」ホーム・ムービーというタイトルをつけ、あえて砂漠の風景や無人の光景を入れることで、観客の感情移入を阻止し、さらにアケルマン自身の「ホーム」への疎外感や違和感を描き出した映画。ある意味で、撮ることの残酷さや冷酷さにとても自覚的な映画である。

にもかかわらず、そこからにじみ出すのは、アケルマンの母への想い。決して良い娘ではなく、家を飛び出し、映画監督として世界中を飛び回る人生を送ることで「ホーム」への帰属を拒んだアケルマン。そんな彼女が、母親の最後の数ヶ月間を共に過ごすことによって描き出そうとした悔恨と改悛と感謝と哀惜。そんな複雑な感情が突き放した画面から伝わってくる不思議な映画体験だった。

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