
SNSに掲載した映画・テレビ評をまとめました。本当はブログに本格的に展開したかったけど、時間がないのでご容赦ください。
ロビーナ・ローズ監督「ナイトシフト」

サリー・ポッター監督の「ザ・ゴールド・ディガーズ」のついでというと失礼だけど、同時公開されている「ナイトシフト」を観る。1981年の作品。
ロンドンのとあるホテルのレセプション女性と、そこを訪れ、あるいは通過していく宿泊客やスタッフたちを幻想的に描いた作品。
特に何か事件が起きるということもないけれど、宿泊客もスタッフも一風風変わりで謎めいている。それを赤と黒を基調とした美しい画面構成と深い闇に満ちた映像で綴っていく。主演女優は、英国パンクカルチャーの象徴のジョーダン。
サッチャー政権下の閉塞感の中、カウンターカルチャーとしてのパンクが花開き、90年代に世界を席巻するYBAアーチストたちが活動を開始し、映画でもニコラス・ローグやアラン・パーカー、テリー・ギリアム達が新しい英国映画の流れを作り始めていた。
そんな時代の雰囲気を感じさせる作品。
サリー・ポッター監督「ザ・ゴールド・ディガーズ」

「オルランド」で性と時間と空間と階級を越境する不思議な存在を描いたサリー・ポッター監督の初監督作品。自ら無神論者であり、アナーキストであると公言する監督の、ラディカルでありながら懐かしく、戦闘的でありながらユーモアに満ちあふれた傑作。
映画は断片的なストーリーで構成される。金融資本に絡め取られるようにして男を翻弄し金を稼ぐ美女。チャップリンの黄金狂時代を彷彿とさせる金鉱探しの一家。謎めいた男たちの集団が夜の闇の中で美女をつけ回すかと思えば、紳士淑女が華麗に舞う舞踏会が映し出される。
まるで成人女性版の不思議な国のアリスのよう。ただしアリスが迷い込む世界は、記号と言語ではなく、金融資本と女性の商品化が極限まで追求された資本主義社会。そこで女たちは、選別され、愛玩され、搾取される。そして最後に訪れる女たちの反乱とカタルシス。。。。
こんなすごい映画をサッチャー政権下で新自由主義に基づく経済改革が強行され、文化闘争の名の下に芸術助成が大幅に見直されていた時代に完成させたポッター監督とそのチーム(全員女性!)には、ただただ頭が下がる。今みても、その輝きが失われない傑作。
上映終了後の監督インタビュー。インタビューアーは、月永理絵さん。
いろいろと発見はあったけれど、最も印象に残ったのは、この映画が公開当時、ジャーナリズムからほぼ黙殺され、挙げ句の果てに徹底的に批判されたことに対する監督のコメント。
ポッター監督は、特に気にすることもなく、淡々と映画が理解されなかったことは残念だが、時を隔てて徐々にこの映画が理解され、現在では高く評価されたことをうれしく思うとと述べたあとで、「映画の素晴らしい点は、時を超え、空間を越えて、人と人を結びつける力があることです。だからこそ、今、私は英国にいながら、日本のユーロスペースの観客の皆さんと、このように対話できるのです。それがとてもうれしい。」とコメントする。
すべてを包み込むような優しい笑顔を絶やさず、決して非難めいた発言をせずに、淡々と自作を語りながら、その奥に深い洞察とクリエイティビティを感じさせるポッター監督のたたずまいが印象的でした。
エドワード・ヤン監督「恐怖分子」

エドワード・ヤン監督の3作目。この映画で台湾ニューウェイブは決定的に映画史を変えたと言っても良い傑作。もちろん、エドワード・ヤン監督の名前を世界に知らしめた作品でもある。
今みてもまったく色あせることのない完成度。銃声に始まり、銃声に終わる映画で、ノワールな気配が濃厚に立ちこめる中、複数の物語が錯綜する。ボーイ・ミーツ・ガールの物語であり、夫婦の葛藤と三角関係の物語であり、大組織における友情と裏切りの物語であり、若者の反抗と犯罪の物語であり、さらにハーフとしての自分を持て余した少女の反乱の物語や徴兵を忌避しつつモラトリアムに生きる青年の物語でもある。
これを完璧とも言えるショットと編集のつなぎで、軽快かつ効率的に提示していく手腕はとても3作目とは思えない鮮やかさ。何よりも映像の力がすごい。ギリシャ悲劇のような静謐さと美しさ、暗闇に浮かぶ人影や火影の神秘的魅力。そして時に凶暴にもなる効果音。
デジタルリマスターの映像を大画面で堪能してほしい!
マルコ・ベロッキオ監督「わたしの血に流れる血」

「ポケットの中の握りこぶし」で衝撃的なデビューを飾ったベロッキオ監督も、既に80代半ば。同世代のヌーベル・ヴァーグ世代の大半は既に亡くなり、もはや円熟の巨匠となっているけれど、その自由な精神はいまだ健在である。
2000年代に入り、「夜よこんにちは」「愛の勝利を ムッソリーニを愛した女」「夜の外側」でムッソリーニのファシズム期や赤い旅団のテロを通じてイタリア史の汚点に切り込み、「エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命」でカトリック教会の暗部を暴き、さらに「シチリアーノ 裏切りの美学」でイタリア社会に深く浸透したマフィアの世界を描くなど、メッセージ性の強い作品を発表してきたベロッキオ監督。
今回、公開された「わたしの血に流れる血」は、2015年の作品だけど、ひと味違う不思議な魅力を湛えた作品に仕上がっている。
映画の舞台は、イタリア北部の閉ざされた町ポッピオ。映画は、17世紀の魔女裁判と、現代の町の奇妙な秘密結社の活動を交互に描いていく。二つの世界をつなぐのは、魔女裁判の舞台であり、現在は朽ち果てた修道院に隠れ住む老吸血鬼パスタ伯爵。。。。
映画は、過去と現代を自由に往還し、時に過酷な魔女への拷問と、時にはユーモラスにも見える現代の老吸血鬼と彼が組織した秘密結社を巡る騒動を追っていく。謎めいたオブジェ、パスタ伯爵は本当に吸血鬼なのか、魔女はもしかしたら聖女なのではないか、秘密結社の本当の目的は・・・。謎は謎を呼び、容易に解消されない。その中で、パスタ伯爵は、死を予感しながら夜の町を彷徨い、そして在りし日の魔女騒動を回顧する。その記憶は、いつしか現在にも浸透してくるようだ。。。。
社会的メッセージの強い作品では圧倒的な物語の強度と緊迫感を映像化したベロッキオ監督。しかし、この作品ではより自由に、より軽やかに、2つの時代を往還する物語を楽しんでいるように見える。自身も老境に入った監督の自画像がこっそり忍び込んでいるかのような軽やかさ。それがとても心地よい。
100歳まで映画を撮り続けたオリヴェイラ監督のように、これからも映画を撮り続けてほしいと思う。
ミケランジェロ・アントニオーニ・レトロスペクティブ

世界三大映画祭のすべてで最高賞を受賞し、ゴダールなどの映画人に激賞された巨匠アントニオーニ。今回は、初期作品で日本初公開の「愛と殺意」、「敗北者たち」と、4K修復版の「女ともだち」、「情事」、「赤い砂漠」の5作品が公開される。
初期作品の二本は、若者の無軌道な生き方をテーマに、その高揚と挫折を冷静に描いていく。二本とも、犯罪に関わった若者たちの内面の葛藤と、心理的に追い詰められている状況を描いているのが興味深い。特に、一攫千金への強烈な野心と、美しい女性を自分のものにしたいという欲望は、アントニオーニならでは。
そして、アントニオーニの代名詞とも言える「情事」。「愛の不毛」を描いた傑作であり、モニカ・ヴィッティの虚無的な美しさが圧倒的であり、そして謎めいた失踪事件が解決されないままにいつしかその探索自体が迷路に陥っていくという不条理な作品でもある。
とは言え、今回の最大の目玉は「赤い砂漠」。
アントニオーニ初のカラー作品だけあって、その色彩設計は圧倒的な美しさ。青と赤を基調に画面全体が独自の存在感を発揮するのは圧巻である。そして霧。この映画は、冒頭のガス工場の煙から、波止場に立ちこめる霧に至るまで、随所に視界を遮る霧やガスが立ちこめる。これが映画に夢幻のような浮遊感をもたらす。
その中を呆然とさまようモニカ・ヴィッティ。半ば狂気に陥ったかのような精神低に不安定な彼女の言動に導かれるように、いつしか観客もこの混乱した不安な世界を追体験していくことになる。
こんな実験的な作品をあの巨匠が撮っていたなんて!これは絶対に映画館で見るべき傑作である。
クロード・シャブロル傑作選2

ゴダール、トリュフォー、ロメールたちと並ぶフランス・ヌーベルヴァーグの巨匠でありながら、初期の「いとこ同士」や「美しきセルジュ」を除けばほとんど日本に公開されてこなかったクロード・シャブロル。
今年から始まったクロード・シャブロル傑作選は、そんな巨匠の魅力を堪能できる画期的な企画である。2月の第1弾ではサイコ・サスペンスとして「女鹿」「不貞の女」「肉屋」の三本が公開されて、その謎めいたサスペンスの世界に圧倒された人も多いと思う。
今回の第2弾では、さらに傑作と呼ぶに相応しい「ヴィオレット・ノジエール」「ベティ」「沈黙の女」が公開されている。これは映画館に駆けつけるしかない。
ロメールと共にヒッチコックについての著書もあるシャブロルの作品には、もちろんサスペンスの気配が濃厚に漂っている。さらにそこに加えられるのは、時に娼婦のように振る舞う女たちの闘争と連帯、あるいはブルジョアの生活に対する憧れと反発、そして裏切り。女たちは易々と社会のルールや道徳を無視して欲望のままに行動し、時には世話になった人や両親を裏切り、そして殺人まで犯してしまう。
これを演ずるのが、若き日のイザベル・ユペール(ヴィオレット・ノジエール)、マリー・トラティニャン(ベティ)、そしてサンドリーヌ・ボネール(沈黙の女)。美しく、奔放で、内面に深い傷を抱えながらも、したたかに、軽やかに、そして挑戦的に社会に立ち向かう姿は、ある種爽快でもある。
ぜひ映画館に駆けつけよう!
シャンタル・アケルマン映画祭2026

主婦の単調な日常の反復の中で徐々に芽生えてく狂気の世界を描いた「ジャンヌ・ディエルマン」が衝撃的だったシャンタル・アケルマンの特集上映会が10月に開催される。
今回は、これまで公開されてきた「アンナの出会い」「一晩中」「囚われの女」「阿房宮」など、物語性の強い作品だけでなく、深い思索と共に制作されたドキュメンタリー作品も上映されるとのこと。
映画そのものを過激に解体していくゴダールと比較すると、アケルマンは一見すると静謐で均整の取れたショットをつないで居るように見える。
しかし、アケルマンは、そこに反復と跳躍、迷宮のような無方向感覚を導入することで、映画の新たな可能性を提示する。そこには深い洞察と共に、ある種の女性的な身体感覚も感じられる。まさに革新的な映像体験がそこにある。
今回は、ジャンヌ・ディエルマンを巡るドキュメンタリーも特別公開される予定とのこと。
これは日仏学院に駆けつけるしかない!
パク・チャヌク「しあわせな選択」

パク・チャヌクの新作は、いつも公開と同時に映画館に駆けつけるんだけど、「しあわせな選択」の公開の際は忙しくて見過ごしてしまった。気になっていたんだけど、シネマリスが再上映していることを発見して駆けつける。
温室付の一軒家で休日には庭でバーベキューを楽しむ豊かな一家の物語。ある日、主人公マンスは、米国資本に会社が買収されて解雇される。彼は何とか再就職しようとするが現実は厳しい。家族の幸福を取り戻すために、マンスはライバルの殺害を試みる。。。
「オールド・ボーイ」、「親切なクムジャさん」」などの復讐三部作を観ている人であれば、わかってもらえると思うけれど、パク・チャヌクの映画は、「痛い」。金槌でなぐりつけたり、自分で舌をかみ切ったり、ととにかくよくこんなことを思いつくなと言う場面が続く。しかも、それをとても過剰に、時にはコミカルに描く。そこに彼の独特の映画文体がある。
前作の「別れる決心」では、そのパワーが少し落ちて、パク・チャヌクも心理劇に移行するのかなと感じたけど、今回はそれが全面的に復活。
復讐三部作に戻ったように、登場人物たちは、わめき、叫び、狂乱し、傷つけあう。でもシリアスではなく、芝居がかった演技はユーモラスでさえある。主人公を演じるイ・ビョンホンがいい味を出している。これがパク・チャヌクの醍醐味。
そしていつものように、映画の最後はほろ苦く、どこか不条理さえ感じさせる「しあわせな選択」が描かれる。思いがけないところから訪れる突然の大団円もいつも通り。
でもそれ以上に、パク・チャヌクは、ここでもひっそりとこの世ならぬ存在を映画の世界に忍び込ませる。「JSA」の最後で、なぜか主人公があり得ない場所に出現したように。あるいは「渇き」の最後でカトリックの秘蹟を逆説的に提示したように。この映画でも、最後に神秘が出現する。
思えば、パク・チャヌクは、「アナーキスト」でも登場人物たちを教会に逃げ込ませることで救済の可能性をほのめかしていた。彼の痛く狂騒的な世界の背後には、どこかスピリチャルな感覚がある。それが彼の作品の最大の魅力なのだ。
再上映を決めてくれたシネマリスに感謝!
アレクサンドル・ソクーロフ特集

シネマリスでアレクサンドル・ソクーロフ特集が始まりましたね。既に公開済みの作品が中心ですが、この機会に改めて見直すのも良いかもしれません。
「エルミタージュ幻想」は、19世紀のフランス外交官がソクーロフ自身のナレーションに導かれてエルミタージュ美術館を巡るという映画。90分間のワンカット映像で話題を呼びました。
映画は、エルミタージュ美術館を舞台に、現在の美術館とピョートル大帝やエカテリーナ女帝の時代などが交錯して夢とも現実ともつかない時間が流れていきます。圧巻は、最後のダンスパーティ。ゲルギエフの指揮で、2000人のエキストラが豪華絢爛なダンスを披露するのはいつ見ても素晴らしい。これだけで見る価値ありです。
今回の特集は、権力者をテーマにした作品が中心です。
「太陽」は、第二次世界大戦の敗戦が迫った日本の昭和天皇を描いた作品。こちらも、現実と幻想が交錯した物語が展開されていきます。イッセー尾形扮する昭和天皇が結構リアルで、「あっ、そう」という独特の言い回しが強烈な印象を残しました。
一方、「独裁者たちのとき」は、全編、モーフィング技術を駆使して、ヒトラー、スターリン、チャーチル、ムッソリーニなど実在の独裁者たちを会話させた実験的な映画。
舞台は神の審判を待つ煉獄で、彼らは毎夜、天国の門の前に集って対話を繰り広げるという物語。煉獄がもしあるとしたら、こんな感じだろうという圧倒的な映像も含めて、スピリチャル系の人間には必見の映画でした。
これ以外にも、タルコフスキーに捧げられた「モスクワ・エレジー」も上映されます。こちらも楽しみですね。
こうなったら、ヒトラーの最後を描いた「モレク神」や「牡牛座 レーニンの肖像」、あるいはルーブル美術館の内部を経巡る「フランコフォニア ルーヴルの記憶」、そしてチェチェン紛争地帯に老女が旅する「チェチェンへ アレクサンドラの旅」、そして権力者4部作の最終作であり再び現実と冥界の境を描いた「ファウスト」などもぜひ上映してほしい!
魔法少女まどか☆マギカ ワルプギレスの昇天
1作目で、従来の魔法少女の世界を根底から覆し、その特異なアート世界で衝撃を与えた魔法少女まどか☆マギカシリーズ。
シリーズ3作目は、ミケランジェロの「天地創造」を明らかに意識したイメージ画像が示唆するように、善と悪、あるいは神と人間を巡って展開される。そこでは、天使と悪魔が世界のあり方を巡って戦い、さらに神による絶対的な調和世界に対して徹底的に抗おうとする悪魔と人間が描かれるだろう。
同時に、タイトルの「ワルプルギスの廻天」が示すように、1作目で中心的な主題でありながらその全貌が明らかにされなかった「ワルプルギスの魔女」の物語も明らかになる。
こんな壮大な世界が、魔法少女の世界の中で繰り広げられてしまう(しかも、アニプレックスという大資本の制作によって!)というのが今の日本のアニメ界の実力。この作品が興行的に成功するかどうかはこれから明らかになると思うけれど、カルト・アニメの1つとしてアニメ史に残ることだけは確実だと思う。
(おまけです。テレビ・アニメについて書いた文章も掲載します。)
二十世紀電気目録 ユーレカ・エヴリカ
今週、第一期のテレビ放映が終了しましたね。
京都アニメーションは、涼宮はるひシリーズしか見たことがなかったのですが、今回の放映は驚きました。
あふれ出る光、闇に浮かぶ影、あるいは薄くたなびく霞と霧。登場人物の顔がアップされる度に、その大きな瞳に繊細な光が宿る。。。テレビアニメでは考えられない質の高さでした。
そして、CGを最大限に活用した幻想的な場面!
主人公の喜八が幻視する20世紀の電気の時代のイメージは、無数の機械人形たちのモブが奇妙な動きをしながら画面を覆い尽くし、圧倒的な印象を与えます。これ、映画館の大スクリーンで観たら衝撃的でしょうね。
そして、時に挿入されるヘタウマ風に描いた図柄や、昭和熱血スポ根風アニメのパロディ。さらには、宮崎アニメを彷彿とさせる躍動的な追跡場面や飛翔場面。遊び心と実験精神がすべての場面に感じられます。
これがNetflixで世界配信されるアニメのクオリティなんですね。いやはや。物語はともかく、毎回繰り出される数々のアニメ技術にただただ見とれてしまいました。
二期以降が楽しみです。ついでにぜひ映画館でも上映してほしい!
TVアニメ版攻殻機動隊
TVアニメ版「攻殻機動隊」の放送が、今週最終回を迎えますね。士郎正宗原作の漫画ですが、むしろ押井守の映画と、その世界観を引き継いだテレビシリーズで知られていますが、今回は、士郎正宗の原作に忠実なシリーズとなりました。
シリーズ構成・脚本は、SF界の奇才、円城塔。これまでも、AIや平行宇宙の世界を描いてきた円城塔ですが、今回は手堅く原作の世界をほぼ忠実に再現しました。さて、最終回は、原作の第一巻の結末をどのように料理するのか、楽しみです。
原作漫画の第1巻が1991年、完結編の第2巻が2001年刊行なので、もう四半世紀前の物語なんですが、監視カメラ網が隅々まで普及し、生体認証がスタンダードになり、生成AIが日常化してAIエージェントが幅広く使われるようになった今の時代でも、まったく違和感なく通用する世界観が、この作品の魅力です。
いや、むしろシンギュラリティの脅威が真剣に語られ始めている現在だからこそ、この物語がリアリティを持って受けとめられるような気がします。その意味では、円城塔を起用して原作に忠実なアニメ化を今のタイミングで行ったことは意味があると思います。
ご承知の通り、原作漫画の第1巻は、主人公の草場素子が、人形遣いと呼ばれるインターネット空間上に発生した高度の知性体と融合することで完結します。たぶん、テレビアニメもこれを踏襲するでしょう(もしかしたら、円城塔はそこにひっそりと独自のメッセージを忍ばせるかもしれませんが。。。)。
この人形遣いいう存在、これこそ今、生成AI、フィジカルAIから、自律型AIを経た次のステップを予感させるものです。これが人間と融合するとき、何が起きるのか。それは原作の第2巻が取り上げている主題であり、その結論は東洋的な道教や仏教の世界観へと広がっていくのですが、ぜひテレビアニメ化を期待したいところです。
とりあえずは、今回のテレビアニメ最終回を見て盛り上がりましょう!
天幕のジャードゥーガル
アニメの話題をもう一つ。今期アニメで一押しの一つだった「天幕のジャードゥーガル」も今週で終了ですね。
物語は、チンギス・カーン率いるモンゴル帝国がペルシャに侵入し、ある高名な学者の家で奴隷として働いていた女の子が連れ去られるところから始まります。彼女は、その後、モンゴル帝国の政治に巻き込まれていきます。ほのぼのとした絵柄からは想像できないハードな物語は衝撃でした。
そこに描かれるのは、当時の遊牧民の生活、帝国内の政治的対立と陰謀から、当時の奴隷制の実態、ユークリッド幾何学や錬金術に代表されるイスラム学問の高度な発展、さらには中国の胎教や道術など、しっかりと歴史的考証を踏まえたもので、とても刺激的でした。
さらに、スピリチャル系の私としては、森の民のシャーマンの脱魂儀礼や、モンゴル遊牧民が駆使する降雨祈願など、当時のスピリチャルな世界を映像化したところも魅力でした。
この手の作品は、キャラクターグッズとか関連商品化も難しいから、なかなか制作は難しいでしょうが、ぜひ続編を期待します。
コメントを残す