映画「オデュッセイア」の謎(1)語っているのは誰か?

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クリストファー・ノーランの新作「オデュッセイア」は、一見するとホメーロス原作の「オデッセイ」を忠実に映像化しているように見える。しかし、ノーランは、決定的な部分で原作に修正を加えることで、まったく別の物語に変容させた。

それは何か、なぜノーランはそのような改編を行ったのか。これによって、ノーランは映画にどのようなメッセージを込めようとしたのか。

これから、ノーランが仕掛けた5つの謎を取り上げ、映画「オデュッセイア」に込められたノーランのメッセージを解き明かしていくことにしたい。映画版「オデュッセイア」は、その見かけとは裏腹に、原作とはまったく異なる新たな物語として語られているのだ。

(以下、基本的にはネタバレありで話を進めていきますのでご注意ください。)

一つ目の謎:誰がこの物語を語っているのか?

映画は、吟遊詩人の杖の合図から始まる。吟遊詩人は、オデュッセイアの帰還を待つ王妃ペネロペへの求婚者が集うホールで杖を床に打ち付けて始まりを宣言した後、オデュッセイアの物語について語り始める。トロイでの闘い、その後の島々での冒険。。。もともと、オデュッセイアの物語は、叙事詩として残されたものだから、実際にこんな場面もあっただろう。

しかし、よく考えてみると、ここで語られる物語は真のオデュッセイアの物語ではありえない。なぜなら、映画の冒頭ではまだオデュッセイアは帰還していないからだ。この吟遊詩人が語る物語は、単なる人々の伝聞や憶測、あるいは想像力の賜でしかない。それは真実のオデュッセイアの物語ではなく、虚構の物語に過ぎない。本当は、この後に3時間を越えて映画内で語られていくオデュッセイアの物語こそが真実の物語のはずである。

では、誰がこの真実の物語を語るのか。周知の通り、オデュッセイアの旅は「彼のみが帰還できた」旅だった。彼以外の仲間たちが全員死んでいるのだから、オデュッセイア以外に旅の内容を知る者はいない。では、この物語を語り継いで後世に伝え、現在この映画を含めて様々に翻案・引用・反復されているホメーロスの叙事詩となる物語をまとめたのは誰か。

息子テレマコスの問い

手がかりは、オデュッセイアの息子テレマコスの問いにある。

この映画では、原作通り、オデュッセイアの旅だけでなくその息子テレマコスが父を探す旅も描かれる。テレマコスは、オデュッセイアが旅立ったときまだ赤ん坊だった。だから彼には父オデュッセイアの直接的な記憶がない。彼が知っているオデュッセイアは、王妃ペネロペや王宮の従者たちから聞いた話、そして吟遊詩人たちが語るオデュッセイアの物語から得られたものでしかない。

だから、テレマコスは、父を探す旅の途上で出会う様々な人たちに、「吟遊詩人が語る物語の中の父ではなく、本当の父がどのような人か教えてほしい」と語りかける。実際、テレマコスは、トロイア戦争に従軍して帰還した王や他の勇者たちに話を聞いて回るだろう。彼らは、自分たちが知っていることを話してくれる。トロイ戦争での活躍、部下思いだったこと、故郷への帰還の際の幾つかの冒険など。

こうした旅を通じて、テレマコスは徐々にオデュッセイアの人物像を明確にしていく。そこから見えてくるのは、吟遊詩人たちが語る神話的英雄としてのオデュッセイアではなく、知略に富み、正義を重んじた弓の名手であると同時に、部下を大切にし、その死に動揺する人間的な姿だった。テレマコスの旅は、いわば吟遊詩人たちが創り出す虚像としてのオデュッセイアから、真のオデュッセイアの物語を浮かび上がらせる旅だったのだ。かくして、この物語の真の語り手は、吟遊詩人ではあり得ないことが明らかとなる。

やがて彼は、スパルタ王メネラオスから、主人が不在の王国で狼藉の限りを尽くす求婚者たちから王妃ペネロペを守り、王位を維持するために自ら戦うよう励まされる。こうして彼は、この長大な物語の登場人物の一人となっていく。

オデュッセイアの語り

映画では、テレマコスのエピソードと並行して、オデュッセイアの物語も語られはじめる。語り手は、オデュッセイア自身である。

オデュッセイアは、海神ポセイドンが起こした嵐で難破し、仲間たちを失って、一人ニンフ・カリュプソが暮らす島に漂着している。そこで彼は、カリュプソが用意した蓮の花を食べて記憶を失い、7年の時を過ごしているが、かすかに戦争での記憶、仲間たちの記憶、そして故郷の記憶を残している。彼は、カリュプソに問われるままに記憶をたどり、自分の物語を語り出す。それがこの映画のオデュッセイアの側の物語となる。

最終的に、オデュッセイアとテレマコスは再会し、2つの物語は合流して一つの物語となるだろう。これが真の物語となるはずだ。

真の物語の語り手

では、最初の疑問に戻ってみよう。この真の物語を語るのは誰か。

映画では、オデュッセイア本人が語り手のように見える。しかし、映画の最後で、これは逆転する。なぜなら、オデュッセイアは、映画の最後で故郷を離れ、西の海に旅立つからである。旅だった者に物語を語り継ぐことは出来ない。

だから、この物語を現代にまで残るオデュッセイアの物語としてまとめたのは、父オデュッセイアから冒険の話を聞いたテレマコス以外には考えられない。この物語の真の語り手は、テレマコスである。

では、なぜノーランは、このような複雑な語りの構造を映画に組み込んだのだろうか。これは、この映画に秘められたメッセージと深く関わっている。だが、そこに至るまでにまだ幾つか解かなければならない謎が残されている。

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