
今週末で終了する下呂Art Discovery 2026を駆け込みで見学。
もともとは2024年に開催された南飛騨Art Discoveryが出発点で、今回はそれが下呂温泉地域一帯に拡大された。北川フラムさんの企画らしい、自然と大地とコミュニティに根ざした手作り感あふれる芸術祭になっていました。
謳い文句は「日本最深部の国際芸術祭」。確かに、日本のおへそ部分にあたる下呂温泉は、良いところなんだけどアクセスが悪い。でも、それを含めて行くかいのあるアート・フェスティバルでした。
会場は、出発点の南飛騨Art Discovery 2024の舞台となった南飛騨健康増進センターと、新たに加わった下呂温泉街、萩原商店街、旧湯屋小学校の3会場。それぞれにテーマが感じられます。
それは、あえて大胆にまとめれば、「自然との交感(南飛騨健康増進センター)」、「コミュニティの想い(旧湯屋小学校)」、「建物の記憶(萩原商店街)」、「土地の物語(下呂温泉街)」となるでしょうか。
以下、簡単に各会場の魅力をお伝えします。
「下呂温泉街」会場
まずは下呂温泉街。ここには2つの作品が展示されています。
一つは、台湾のトゥ・ウェイチェンの「両面宿儺 神龍退治」。
飛騨の伝説に登場する「両面宿儺」(アニメ呪術廻戦ですっかりメジャーになりましたね!)が、こちらも伝説の「新龍」と戦った後に、やがて骨となり化石として発見された、という架空の遺跡が作品です。
実際、そこは紛れもなく「発掘現場」。しかも作品となっている化石がとてもリアルで、本当に発掘されたようなんです。これは想像力をかき立てられます。本当に、こんな戦いがかつて繰り広げられた感覚。
まさにこの芸術祭の基本テーマである「土地の物語」を描いた作品でした。


もう一つは、弓指寬治さんのインスタレーション。弓指さんは2024年の国立西洋美術館の「ここは未来のアーチストたちが眠る部屋となりえてきたか?」展にも出品していたので、ご記憶の方がいるかもしれません。そう、あの路上生活者たちへの聞き書きに絵を添えたインスタレーションです。
今回は、下呂温泉に何度も通って滞在し、そこで出会った人たちの聞き書きと、それを絵にしたインスタです。これがものすごく面白い!時間を忘れて読みふけってしまいました。
登場するのは、魚屋、猟師、スナックのママさん、ネパールからの出稼ぎ労働者、ベトナムからの出稼ぎ労働者、カラオケラウンジのボーイさん・・・。
「日本の最深部」にも外国人労働者がいてしっかりと暮らしているし、猟師たちは鵜や熊や鹿を追って山野を駆け巡っています。冬眠中の熊の穴での格闘とか、良質なジビエの材料にするための鹿肉の処理方法とか、それだけで興味深い様々なエピソードが語られています。





しかし、圧巻はスナックのレイさん。男が切れたことがないと豪語する彼女ですが、10代からの男関係の歴史をたどると、壮絶な人生が見えてきます。ギャンブルで重ねた借金を返済するために消費者金融で借金させられひたすら働く日々、あるいは妻子持ちの男性との不倫。ようやく結婚したら、すぐに相手は癌で亡くなり、女手一つで子育て。どう考えても辛そうなのですが、彼女は男たちを受け入れ、ひたすら働き、そして今でも人生を肯定しています。なんてすごい人生。。。



アートが描き出す土地に固有の物語。この二つの作品は、アプローチも対象も違いますが、下呂温泉という土地がはらんでいる豊かな物語を伝えることで、この土地の地霊をざわめかせているようです。
「南飛騨健康増進センター」会場
こちらは屋内だけでなく、周囲の山を歩き回って自然の中でアートを楽しむことができます。魅力的な作品がたくさんあるのですが、特に印象的だったのはこちらです。
橋本雅也「母音」
木彫作品。母子像のようなものが浮き出ているけれど、人物ははっきりしない。それが幾重にも連なり、木肌の温かみと一体になって、どこか懐かしく包み込まれるような感覚を感じさせる不思議な作品。


遠藤利克「雨為る森・四美」
木々の上にタンクを設置して放水し、森の中にいくつもの滝を出現させた豪快な作品。渓流と一体となって、この森が豊かな水を湛えていることを実感させてくれる。

鈴木初音「植えられた野草の庭」他
古い民家の壁一面に、地域の野草や作物を加工した素材で壁画を描いた作品。素材のナチュラル感、描かれた木々や花、動物や妖精たちのおとぎ話のような幻想性が、古い民家の空間に展開する。暖かく、懐かしい、地域芸術祭らしい作品。


バルトロメイ・トグオ「癒やしの水」
こちらも民家を使った作品。壁を開放した座敷に現地で製作された陶器と古木が配置される。陶器には水が湛えられ、床にも水が張られている。外からの風が心地よく、外光を背景にシルエットが浮かび上がるインスタレーションは、ただただ心地よい。ここでもやはり水の豊かな飛騨の自然が感じられる。


トザキケイコ「巡りゆきて還りくるもの、滅びゆきて生まれくるもの」
本会場イチオシの作品。半透明のカーテンに森の映像が映し出され、穏やかな音楽が流れている。部屋には、壁や天井に木の枝が設置されており、ところどころ毛糸が巻かれている。それはまるで傷を覆う包帯のようでもある。そしてテーブルには、ガラス瓶の中に小さなオブジェが入れられている。森と木々による癒やしをテーマにしたこのインスタレーションは、澱のように沈殿しているネガティブな感情を溶かしてくれるようで、いつまでもくつろぎ、安らぎ、包まれていたいと思わせる魅力を持っていた。




村上力「ここに在る森」
天平時代から続く乾漆技法で製作された彫刻によるインスタレーション。ピカソ、オキーフ、平櫛田中、小林秀雄、ディラン、レヴィ=ストロースなどの有名人もいれば、市井の人たち、あるいはPOW(捕虜収容所の人々)などもいる。まるで森のような不思議な空間が出現した。




作品は多様だけど、基本的なテーマはやはり水と森。これをアート作品として立ち上げることで、自然との交感や癒やし、あるいは自然の神秘への誘いが生み出される。アートの力を感じさせてくれます。
「萩原商店街」会場
かつて飛騨街道の宿場町として栄えた萩原商店街では、旧い建物を使ったインスタレーションが印象的でした。
竹中美幸「音の家」
かつての楽器店に時計と楽器を配したインスタレーション。そこに様々な音が重ねられて不思議な空間が出現する。まるで建物自体の記憶が呼び覚まされたような神秘的な感覚。無造作に置かれた古い家具がその感じを強める。懐かしくも少し怖い感じの作品。


マッシモ・バルトリーニ「祈り」
土蔵に設置された自動オルガン。そこには万葉の昔の塔にも似たオブジェが置かれている。階上から聞こえてくるのは、神社の大幣を振る音。それはまるで土蔵自体が、遙かな時を保存して今に伝えるタイムカプセルになったような感覚。歴史の記憶を召喚する異空間がそこに出現する。


ムニール・ファトゥミ「2つの面影の狭間で」
床屋と住居が一体となった廃屋を使ったインスタレーション。その家にあった日用品、文具、食器などを塗り固めたオブジェが部屋の中心に置かれている。それは、ここに住んだ人々や床屋に通った人々の記憶や会話が物質化したようにも見える。ここでもやはり、人々の記憶が主題となっている。


スタシス・エイドリゲヴィッチウス「蛇」
諏訪神社の拝殿に、諏訪明神の使いとされる蛇の彫刻を設置したインスタレーション。その抽象化されたオブジェが、神社の拝殿いっぱいに広がる姿は神話的でもある。日暮れ時に訪れたこともあり、何ものかが立ち上がってくる気配を濃厚に感じることができた。


「旧湯屋小学校」会場
築70年近い木造校舎が美しい旧湯屋小学校を活用した会場。今回のフェスティバルの目玉だと思います。やはり、北川フラムさんプロデュースの芸術フェスに廃校は欠かせません。そしてテーマはもちろんコミュニティへの想いとコミュニティの記憶。すべてを紹介することは不可能なので、印象的だった作品だけを記載します。

長澤伸穂「時間の標本室」
かつての理科室に、アートとも標本ともつかないオブジェが設置された作品。テーマは時間。砂時計が時を刻み、化石や標本が、そこに凍結された時間の堆積をじっくりと滲み出させる。まさに「時間の標本室」という名にふさわしい空間が出現する。


TA-YO-Uな☆「みんなの修学旅行」
アールブリュット作家が、知多半島から下呂に修学旅行にやってきて、その体験に基づいて制作した作品を集めた展示。部屋いっぱいに広がるアールブリュットの作品群が、旅の興奮と制作の喜びを伝えている。コミュニティの力を感じさせる作品。


パンクロック・スゥラップ「下呂の四元素」
下呂温泉を地水火風の四元素から読み解こうという作品。下呂の人たちとの共同制作で、巨大な木版画を完成させた。そこに描かれるのは、下呂の人たちの日々の暮らしとそれを取り巻く自然、人々が共有する民話の世界と温泉を湧き出させる火山。壮大な絵巻が展開される印象的な作品。


沼田侑香「残像のリプレイ」
下呂の女性たちの協力を得て、テグスとビーズをつなぎ合わせて制作された作品。膨大な作業の果てに浮かび上がるのは、まるでホログラムの断片のような子どもたちの姿。それは実在と非実在のあわいにあるかのように幻想的で、現在と過去が交錯して出現した一瞬の夢のよう。イチオシの作品でした。


泰然+きみきみよ「記憶を詠む<光の道具箱>」
こちらも住民が協力した作品。幼少期に使った道具や玩具を提供してもらってタイムカプセルのような箱に収める。そして、それにまつわる記憶を黒板に書いてもらう。様々なオブジェと言葉から浮かび上がってくるのは、下呂の人たちの個人の記憶でありながら、私自身の記憶のようでもある。ノスタルジアあふれる作品。



ジョンペット・クスウィダナント「繰り返す、記憶する」
体育館に、鼓笛隊や応援団の生徒たちのオブジェが設置され、自動楽器で卒業式の音楽が演奏される。制服や鼓笛隊の扮装が、どこか懐かしさを感じさせるけれど、機械仕掛け故の違和感も感じさせる。それが、体育館の広い空間を異空間に変貌させる。それはもしかしたら、体育館という空間が持つある種の祝祭性を呼び覚ましているのかもしれない。


地域アート・フェスティバルの可能性
わずか1泊2日の駆け足の旅でしたが、下呂温泉でのんびりできたし、改めて地域アート・フェスティバルの魅力を実感しました。
それにしてもプロデューサーの北川フラムさんは偉大です。越後妻有の大地の芸術祭から、瀬戸内国際芸術祭、奥能登国際芸術祭、そして今回の下呂アートディスカバリーに至るまで、日本各地で地域アート・フェスティバルを企画・成功させてきました。
日本の場合、何でも実利と経済的価値が最優先されてしまうため、北川さんのこれまでの活動も、地域アート・フェスティバルが地域経済をいかに活性化したかとか、インバウンドや関係人口がどれだけ創出されたかという観点から評価されがちです。あえて経済から離れたとしても、過疎化や人口減少に悩む地域の人たちが、フェスティバルを通じて生活に張りができたという実利面が強調されてしまいます。
確かに、地域アート・フェスティバルを開催するには、自治体や地元企業の支援が不可欠ですから、それに見合う効果が求められるのは当然でしょう。でも、地域アート・フェスティバルの価値はそれだけで測ることはできないと思います。
考えてみれば、北川フラムさんが地域アート・フェスティバルという場を用意してくれたお陰で、例えば廃校や古民家を展示会場にしたインスタレーションがアートの一形態として定着しました。それは、さらに老朽化した家屋やビルにまで広がっています。使われなくなった建物の魅力を再発見し、そこに宿るコミュニティの記憶や人々の想いをアートとして形にするという表現がここまで一般化したのは地域アート・フェスティバルの功績でしょう。
また、コミュニティの人たちが参加する共同制作型のアートもジャンルとして定着しました。ただ制作に労働力として参加するのではなく、思い出の品を持ち寄って作品にしたり、自分たち自身も絵を描いてみたり、自分たちの思い出を語ったり・・・と多様な共同制作が可能になりました。それを見る観客も、作品を見ることで何か人とのつながりを回復させることができるようになります。
そしてもちろん、自然の中を歩き回り、陽光や風や木々の香り、渓流のせせらぎなどを感じながら、そこでしか見ることができないアートを観る楽しみ。豪華な美術館の建物で見るよりも、自然の中でわざわざそこまで出向いてみるアートこそ、サイト・スペシフィック・アートの名にふさわしいと思います。
こんな風に、アートの可能性を押し広げ、新たな制作・鑑賞の可能性を切り開いてきた地域アート・フェスティバル。経済的価値を離れて、もっといろいろな自治体に取り組んでほしいと思います。
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